永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

バベルの塔は、時代を超えて

『 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。(ヨハネⅠ2:16-17新改訳聖書2017)』

「塔」というと、役割としては電波塔としてとか、展望台としてとか、シンボルとしてとか、様々な用途があります。

しかし、バベルの塔の究極的な目的は、人間の力のみで、天に到達することでした。

その企みは見事に、創造主である神の御手で砕かれました。

それまでは、共通言語として「ヘブル語」が用いられていたようですが、バベルの塔の建設のさなかに、創造主の介入で多言語化され、言葉の障害で乱れが生じて、建設自体が頓挫したのですね。

近年でも、ドバイに超高層ビルがつくられたりしています。

また、宇宙開発という方向性もあります。

アポロ計画に始まり、スペースシャトル計画や宇宙ステーションなども、人の手による創造主の領域へのチャレンジなのかも知れませんね。

さらに、大国は「宇宙軍」の創設を支持したとも伝えられました。

このような流れは、バベルの塔の建設に頓挫した人類のDNAに書き込まれた創造主へのチャレンジ(反抗)のあらわれなのでしょうか?

その根っこは、人の心『…肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢…』にあるようですね。