永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

記憶力勝負の満点主義が蔓延

丸暗記ができれば試験で満点も夢ではないという風潮が色濃い世の中ではあります。

最近は、少し記述式も盛り込まれるようになってきたようですね。

でも、人生の生き方には、絶対的な正解はないのが現実のようです。

「疑わしきは罰せず」という日本社会の中で、記録も記憶のないから「自分は正しい」と居直っている方々が目立つようになってきました。

また、都合の悪い記録は、消去する、または、改ざんするという違法行為も明らかになってきています。

ダメージデニムの場合は、ホコロビがおしゃれさんには芸術的に評価されるのでしょうね。

でも、信用のほころびは芸術的な価値もなく、むしろ破綻まっしぐらとはならないでしょうか?

表題の傾向が、自分だけの思い込みの正しさを主張するベースになっているのであれば、非常に情けない思いがします。

三権分立とされる国の重要機関のなかに、黒い塊がとぐろを巻いて居座っているようなイメージがする人が増えてきているのではないでしょうか?

『悪しき者は人の懐から賄賂を受け取り、さばきの道を曲げる。(箴 17:23【新改訳2017】)』

今後は、ワイロが焦点になっていくのかも知れませんね。

公儀が機能する国が良い国なのでしょうね。