永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

何度もバアル神などに頼りたくなるイスラエル

「彼らがわたしを捨てて、この場所を見知らぬ所としたからである。彼らはこの場所で、彼らも彼らの先祖も、ユダの王たちも知らなかったほかの神々に犠牲を供え、この場所を咎なき者の血で満たし、バアルのために自分の子どもたちを全焼のささげ物として火で焼くため、バアルの高き所を築いた。このようなことは、わたしが命じたこともなく、語ったこともなく、思いつきもしなかった。それゆえ、見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、もはやこの場所はトフェトとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。(エレミヤ19:4-6【新改訳2017】)」

創造主にアブラハムが選ばれてからイスラエルの歴史がスタートしました。

そのイスラエルは、創造主との距離感で、状況が好転したり更に悪くなったりしています。

エジプトから出て、シナイ山モーセが律法の石版を受け取っている時でさえ、不安から金の子牛の像を作り拝んだりしていました。

その他に、よく出てくるのが、「バアル神」とか「アシラ」や「アシタロテ」などですね。

「バアル神」は、カナンの古くからの悪習で、赤ちゃんの生け贄を捧げるのです。

「バアル」という言葉の意味は、「主」や「所有者」なのですが、「豊作をもたらす神」の固有名詞として使われていたようです。

豊作のために人身御供を捧げるようなイメージでしょうか?

今日でも、そのような習慣を秘かに引き継いでいる人たちが、暗躍しています。

いつの時代でも、創造主である神を信じる信仰者がいるとも記されています。

「しかし、神が彼に告げられたことは何だったでしょうか。「わたしは、わたし自身のために、男子七千人を残している。これらの者は、バアルに膝をかがめなかった者たちである。」ですから、同じように今この時にも、恵みの選びによって残された者たちがいます(ロマ11:4-5新改訳2017)」

いつの時代でも主に在る民と歩めたら最高ですね。