永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

真の霊性について…工藤信夫先生

「…真の霊性というのはその人だけでなく周囲をも高めたり、深めたり、広めたり、自由にしたり、豊かにしたり、厳かにしたり、本質的なものに向かわしめる、そういう性質をもっていると思います。ナーウェン的にいけば、ますますその人を、低さとか、貧しさだとか、小ささとか、そういう方向に導く。ところが今私が伝え聞く方向性というのは、自己拡大であり、慢心であり、騒がしさであり、大きさであり、成功である。だから、もしそういう方向が「霊的」ととらえられたら、そごい大きな混乱を招くのではないかと思います。…(今日における「霊性」と教会…いのちのことば社)p25より」

奇跡ばかり求めたりする信仰もありますね。そうなると、気になる症状が取り除かれたら、霊的という評価になり、取り除かれなければ霊的ではないという評価になるとか、妙な歪みが生まれます。

人間としては、症状の改善を創造主である神に願い出るのだけれども、それをどのように取り扱うかは、人ではなく神の側の権利だということなのですね。

霊的には、創造主である神の御前に静かに居て委ねることで、より謙遜にされていくのですね。

委ねる相手を間違うと「霊的」という名を使われて、搾取される危険性もありますから注意したい所ですね。

「イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」(ヨハネ4:13-15【新改訳2017】)」

創造主である神との霊的な交わりによって、渇くことのない水が供給されるのですね。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。(ガラテヤ5:22-23【新改訳2017】)」

そして、御霊の実を味わうことができるのです。