永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

人間の体は不思議

「神経調節型失神」で、トイレで気を失い意識不明の状態で救急搬送する事案に付き添った時のレポートです。

タイル張りの床に、頭を打ち付けて、コブをつくり丸まって発見された。普段は耳にしない鈍い「ゴン」というような音で、かけつけた訳です。

意識は無く、息は「ゴーゴー」という感じだったので「119救急要請」をして指示をまった。「平らな所に移して気道確保」と言われたので、トイレから廊下に移して、平らに寝かせた。

意識を失った状態の人間は重く感じますね。

また、トイレが広くないために、自分の体の置く場所の確保や保護する人をどのように移すか?判断が難しかったように感じた。

救急要請で出動した救急車から電話かかかり、状況の確認と追加の指示があった。

場所がトイレだったこともあり、「レスキュー隊」まで来てくれたので、かえってビックリしてしまった。

早々に、救急車に収容され、かかりつけの医療機関に受け容れて貰えてので助かった。

救急車の中では、状態のチェックで、左右の腕の動作、指示通りに反応ができるかなどが行われた。

意識が無いにもかかわらず、それには、きちんと対応していたように見えた。

病院に到着し、ERに入ってから、意識が戻り、打撲のみで頭蓋内出血もなく、担当医師と言葉によるコミュニケーションがとれたようでホッとした。

本人に確認をした所、「トイレに行こうとした記憶はあるが、トイレに入ってから医師と会話をするまでの間は、全く覚えが無い」ということでした。

発語による応答ができなくても呼びかけに対して対応をしていたり、記憶に無いけれど生命は保たれていたり、つくづく人間は不思議だなあと感じます。