「断捨離」の提唱者である、やましたひでこさんが、片付けのお手伝いをする番組などを見ていると、家族の誰かが、モノを捨てることに抵抗感を示します。
おそらく、モノを大切にしましょう。使えるモノをゴミとして捨てるのはもったいないと教えられている影響なのでしょう。
どうやら、言葉の行き違いがあるのではないかと感じました。
その収納スペースに収めるか否かの判断であって、それを、即ゴミと認定しているわけではないのでしょうね。
処分するというのは、ゴミ収集にだすとか、リサイクルするとか選択肢は様々ある訳ですね。
リサイクルでも値がつくのは微々たるモノですが、罪悪感からは解放される要素はあるかも知れないです。
目の前の使わないまでも愛着や思い出が残るものを処分しろと迫るのは、いきなりかけたはしごを外すような、かなり数ステップ跳んだ話という印象があります。
無理も無い話で、断捨離とは、過去の自分を処分するのですから、重い腰が上げられないのが、むしろ、スタンダードなのかも知れません。
分類をする所から緩やかにはじめて、「捨てる」という罪悪感から解放されるまでには、結構、時間も必要なのでしょうね。