永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

わかってたまるものか!

「良い事を聴いたなと思っても分かった気にならないようにしている。」

それよりも、「わかってたまるものか!」という強い決意だそうです。

その人にとって、物事の奥深さをより深く知るためにも大切なポリシーなのでしょうね。

そして、多くの情報に接して、接点が見えて、自分の中で合点がいく瞬間を楽しみにしているのだそうです。

筆者としては、柔軟に、「わかったかも知れない」と言う段階で、情報の整理整頓をするようにしています。

もちろん、それらは過程ですので、新しい「わかったかも」に遭遇した時に、整理整頓し直そうとしています。

マラソンにも、いきなりゴールなどないように、人生は生きている限り、アップデートの連続ということなのですね。

「されど汝は学びて確信したる所に常に居れ。なんじ誰より之を学びしかを知り、…この書はキリスト・イエスを信ずる信仰によりて救いに至らしむる智慧を汝にあたえ得るなり。聖書はみな神の感動によるものにして、教誨(おしえ)と譴責(いましめ)と矯正(矯正)と義を薫陶(くんとう)するとに益あり。(テモテ後3:14-16)」