永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

現実を受け容れるための考えかた

 「我裸にて母の胎を出たり、又裸にて彼処に帰らん。エホバ与えエホバ取りたまうなり。エホバの御名は讃むべきかな。この事においてヨブは全く罪を犯さず神にむかいて愚なることを言ざりき(ヨブ1:21-22)」

ヨブは、アブラハムと同じ時代の族長のようです。

アブラハムの子孫が唯一の神(三位一体、ここでは「エホバ」とでている)の選びの民とされたのですが、それとは別に、神との交わりがある人がいたのですね。

ですから、詩歌の分類で、ヨブについての記述が残されているのでしょうね。

神は、ヨブを義人と認め、サタンに自慢?するような存在だったみたいですね。

そんな義人で、多くの家族と財産を持っていたヨブに突然様々な試練が襲いかかります。

信仰の試練と言えば、格好はいいのでしょうけれど、試練に遭った当事者には理由くらい知りたいという気持ちが沸き上がることでしょう。

「サタン…ヨブを撃てその足のうらより頂まで悪き腫物を生ぜしむ。ヨブ土瓦の破片をとり其れをもて身を掻き灰の中に座りぬ。時にその妻…神を詛いて死ぬるに如かずと。…彼は…汝の言うところは愚かなる女の言うところに似たり。我ら神より福祉を受るなれば、災禍をもまた受けざるを得んやと。この事においてはヨブまったくその唇をもて罪を犯さざりき。(ヨブ2:7-10)」

でも、ヨブは、家族が殺され、財産を奪われ、さらに、自分の身体に原因不明の腫れ物ができても、神を詛う事をせずに、神の前に座っていたのです。

それだけ、創造主である唯一の神に対する信仰に生きていた生涯なのですね。

後に、財産も家族も、回復されます。

試練の中に、いる時には、先も見えないのですが、揺るぐことのない信仰を持ち続けた人なのですね。

人間には、理解不能な状況に、遭遇する時に、天を仰いで、創造主の計画を認め、その中で自分に与えられた役割に集中したいモノですね。