永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

バベル(乱れ)

「全地は一の言語一の音のみなりき…人々東に移りてシナルの地に平野を得て其処に居住り。彼等、互いに言いけるは…かわらを作り…まちと塔とを建てその塔の頂を天にいたらしめん。斯くして我等の名をあげて全地の表面に散ることを免れんと。エホバ降臨りて、かの人々の建つるまちと塔を観たまえり。エホバ言いたまいけるは、視よ民は一にして、皆、一の言語を用う、今、既にこれを為し始めたり。然れば凡て其の為さんと図る事は禁止得られざるべし。いざ我等降り、彼処にて彼等の言葉を乱し互いに通ずることをえざらしめんと。エホバ遂に彼等を彼処より全地の表面に散らしたまいければ彼等まちを建つることを止めたり。この故に其の名をバベル(みだれ)と呼ばる…(創世記11:1-9)」

バベルの塔」という言葉を耳にした事があるのではないでしょうか?

世界では、様々な言語が使われており、その中でも、方言があり、それらを含めて考えると、人と人が、同じ言語を共有できることが奇跡のように思われます。

言語が多様化した起源は、どうやら、このあたりのようです。

人間の企みは、このシナルの地と書かれているバビロンに天に届く塔を建設することでした。

人間の我力(がりき)で、天に到達しようという企てだったのです。

最初に創造されたアダムが、エデンの園で取り返しのつかない失敗(罪)をしたので、天に行く方法がないというのが、DNAの中に入っていたのでしょうか?

それで、望みがなくなった、天への架け橋をかけようとしたのでしょうね。

神に似せて創造された人間には、多彩な才能が与えられていて、それを、有用に使えば良いものを、逆の方向性で使ってしまう繰り返しが人間の歴史のようですね。

このような企みがなければ、世界は、一つの言語だったのかも知れないですね。

これからは、AI化が進み、コンピュータの能力も上がり、翻訳も瞬時にできる時代になるようですので、あちこちで、このような企みが起きてくるのでしょうね。

今でも、クローン技術などで、人間には許可されていない領域に踏み込んでいるのかもしれませんからね。

それをしなくても、主イエス・キリストの贖いによって、天への架け橋は整えられ、肉体的生命が終わっても、信じる人には永遠の幸福が保証されているのですからね。