永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

創造主を神と認められないのが「罪」

「…キリストの十字架に敵して歩む者おおければなり。彼らの終わりは滅びなり。己が腹を神となし、己が恥を光栄となし、ただ地の事のみを念う。(ピリピ3:18-19)」

サタンは、天使長(ルシファー)でありながら、仕える神よりも上を狙って、堕とされました。

あらゆる管理権を剥奪されたのです。

そして、創造主は、人を造り、地球上の管理権を人にあたえました。

それが、どのくらい続いたのかわかりませんが、創世記の3章の記述で、サタンの誘惑を受け、神から与えられた唯一の禁則「食べてはいけない木の実」を食べてしまったのです。

つまり、サタンと同じようなコトをしたわけですね。

これが、「罪」であって、「神を認めず自分を神とする事」なのですね。

この世での法律を犯す行為も「罪」で、相当の刑罰を受けなければならないのですが、神の対する「罪」は信仰によってしかクリアできないのですね。

この事があってから、人間が与えられていた、地上の管理権が剥奪され、サタンにしばし預けられる事になったのです。

そして、それまでの間、サタンが活躍し続けていると言う訳ですね。

そのために、御子イエス・キリストの十字架と復活が必要だったのです。

それを自分のためだったと信仰告白すれば、失われた罪の淵を超える橋が架かり、永遠の生命に歩む事ができるようになるのです。