永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

死にたいから死ぬのではない

希死念慮が芽生え始めてからは、死に一直線ではない。

最期まで、気持ちが揺れ続けている人が多いようです。

支援者や家族は「死にたい人をなんとかしなければならない」と考える傾向がありますが、方向性が違うようですね。

「死にたいから死ぬのではない、苦しくて、追い詰められて、逃げ道がなくて死ぬ」

強い絶望と無力感の中にいるのですね。

実際に希死念慮を持ち始めた方の口から出た本音は

「死にたい訳ではない。死ぬしか方法がないのかと思ってしまう」

と言うモノでした。

支援者は、相談したいと思われる存在になることと、「何に困っているのか?どんな風に困っているか?」をきいて、「どうするか?」を考える必要があるようです。

希死念慮に至る前の段階に、対応できれば一番いいのですね。

日常的に、意識が必要ですね。