永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

裂けた幕 「完了した(テテレスタイ)」

「なんじらの罪は緋のごとくなるも雪のごとく白くなり紅のごとく赤くとも羊の毛のごとくならん。(イザヤ1:18)」

人間が解決できないコトの一つが、「罪の贖罪」です。

これは、誰でも生まれた時から、DNAに入っていて受け継がれてきた訳です。

しかし、アダムとエバが、罪を犯した時に、すでに、創造主は、「罪の贖罪」を約束(創世記3:15)してくださいました。

それが実現したのが、AD30年、イエス・キリストの十字架です。

自らが唯一の過越の生け贄となり、肉体的生命、全血を注いで、「全人類の贖罪」を完成してくださったのです。

それまでは、多くの犠牲の動物が捧げられてきました。

そのために、祭壇や幕屋や神殿と場所を変えていったのですが、幕屋以降は、聖所と至聖所の間に、分厚い隔ての幕があったのです。

年に1度、大祭司が動物の血を携えて入り、責務を果たしてきたのです。

イエス・キリストが十字架上で、「完了した(テテレスタイ)」と叫んだ時に、その聖所と至聖所の隔ての幕が、上から下へ裂けたのです。

人間の大祭司の役目は、その時に終了した訳ですね。

メルキゼデク系の大祭司でもあるイエス・キリストが、自ら生け贄となり、全人類の贖罪を完成した訳です。

これを自分のためであると、信じた人は、創造主の前に無罪にされるのです。
福音の三要素