永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

この世は喜怒哀楽 来世は喜楽

「『視よ、神の幕屋、人とともにあり、神、人とともに住み、人、神の民となり、神みずから人とともに在して、かれらの目の涙をことごとく拭い去り給わん。今よりのち死もなく、悲嘆(かなしみ)も号泣(さけび)も苦痛(くるしみ)もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり。』(ヨハネ黙示録21:3、4)」

新天新地の光景です。

悲しみや苦痛はなく、涙も拭い去られると書かれています。

表題にあるように、今の世の中では、肉体に生かされていて、喜怒哀楽を味わって生きています。

人間には、喜びと楽しみは一瞬に感じられ、怒りと哀しみは長く感じられるようです。

多くの人は、「喜楽」のセンサーよりも「怒哀」のセンサーの方が、敏感なようですね。

一方、イエス・キリストをメシアと信じる信仰者は、肉体から離れる時に、肉体の喜怒哀楽から解放されて、霊的な喜楽に入るということなのですね。

寿命を全うした肉体的死は、肉体に生かされている人にはネガティブなイメージがありますが、「怒哀」からの解放でもあるのですね。

また、肉体に生かされている状態でも「喜楽」センサーの感度が高くなれば、幸せをもっと実感できるのでしょうね。