永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自分の意思に反して名前を使われたら?

「名前を語られる」ってことありますよね。

自分は事実無根なのに、濡れ衣を着せられているなんて経験も少なからずあるのでは無いでしょうか?

「○○総理の意向」だとか、そんな話で、行政が歪められたとか話題になっていますね。

そんなことは日常茶飯事だとか、吹聴している向きもあります。

そもそもの話は、名前を勝手に使われたのなら、名前を勝手に使った人たちを正す必要があるのではないでしょうか?

これは、「立法府の長」ではなく「行政府の長」が果たすことが筋でしょうからね。

立法府は、行政を正す立場にありますから、質問するのは当然のことです。

それに、対して資料も示せない行政はおかしいと主権者である国民は判断するのが自然でしょうね。

水戸黄門の印籠」は正義のためには用いられても、悪事には荷担しないことになっている前提でね。

「あることをないことにはできない」との役人としての矜持を示された前次官には敬意を抱いてしまいます。当たり前のことを言っているのに過ぎないのですが。

「無いことにしたい」意向を持っている人は、最大限に怪しいわけですからね。

特区という名の治外法権がお望みなのかな?