永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

沈黙 映画でも話題ですが・・・。

願い事をする祈りが習慣になっている時に、その願いが実現しなかったなら、祈っている当人にとって「神が沈黙している」と感じてしまうかも知れませんね。

神の声は、細い声といわれていて、静止の時にようやく聞こえるのでしょう。

祈りは、神の御前に静まる時ととらえると、神の細い声を聴く体制は出来ていると言うことになりますね。

それでも、神の声は聞こえないということも多いのですね。

その状態のことを、人の立場からは「神の沈黙」と考えてしまいます。

神の立場からは、「黙して、あなたの想いを共有し寄り添っていた」ということかもしれませんね。

世の終わりまで共にいてくださる神(インマヌエル)

その約束が忠実に果たされるのであれば、常に共にいて想いを共有してくださっていると考えると、マインドが180度変わるのではないでしょうか?