永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

宗教は金がかかる場合も 信仰は無代価

「心のスキマおうめします」なんてフレーズがありましたね。

喪黒福造が登場したのは、『笑ゥせぇるすまん』は、藤子不二雄Ⓐによる日本のブラックユーモア漫画作品。

人は、心の空間をユトリととらえずに、スキマだから埋めなきゃいけないと考えるのでしょうか?だとしたら、喪黒福造さんは大繁盛(商売ではないみたいですが)ですね。

言い換えれば、充足感を得るための何かを人は求めていると言うことでしょうね。

札やツボからニーズを探っていくと宗教的な要素にたどり着き、その実は、ずばりお金がかかってしまうことになります。

それと対極にあるのが、信仰あるいは信念です。これは、基本的に無代価です。自分が確信を持ったことを信じるだけですからね。(そこにたどり着くコストは必要でしょうけど)

でも、この二つの差は非常に大きいのではないでしょうか?

目の前の金が増減するだけではなく、そのお金の流れを変える事ができる可能性があるからです。

お金で、物事を解決しようとしても限界があります。そんな時には、優先順位を考え直すことも大切なことですよね。

中身が充実していないと空しさがつのるだけですから。