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永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

イエス・キリストの権威

メシアニックジューと呼ばれる人たちが、徐々に増やされつつあるようです。
イエス・キリストを自分のメシヤであると受け入れたユダヤ人のことをそのように呼びます。

その一人の証言では「イエス・キリストの権威を強く感じて、メシアであると受け入れた」と言っています。当時の人たちも、先生と呼んでいる律法学者と権威を持って語るイエス・キリストの違いに衝撃を受けていたことでしょう。

それは、当然ですよね。ヨハネ伝の最初に「はじめにことばあり、ことばは神とともにあり、ことばは神なりき」とありますから、イエス・キリストご自身がことばなのですからね。

「祝福あれ、主の御名によって来られる方に」

不思議なもので、アブラハム・イサク・ヤコブは創造主である神に選ばれた民族なのですが、イエス・キリストが生活していた当時、ユダヤ民族として、イエス・キリストをメシアと受け入れず拒否をしました。

それから約2000年経過した今、個人的にイエス・キリストをメシアとして受け入れるメシアニックジューが増やされていると言うのです。そして、やがてそれほど遠くない将来にユダヤの民族的にイエス・キリストをメシアとして受け入れる時が来るというのです。

今、世界中に広がっている「ユダヤ」には、色々な意味合いが込められており、非常な混乱を招いていると考えています。

歴史を見ると、金の子牛の像崇拝からはじまり、バアル信仰による人身御供などユダヤ民族中に蔓延ったものが根強くあり、それらが、イスラエルを二分してきた経緯があります。自分たちの権威を守り、創造主を蔑ろにしてもかまわないという考えの人たちの台頭もありますので、これからの変化を注視していきたいです。