永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自分と向き合うこと

それは、自分を抑圧している事柄と、その要因に向き合うことと考えた方が良いのかもしれません。

親のしつけは、社会性を営んでいく上での基礎ですので必要な部分はありますね。特に、規律と習慣化をできるかどうかで、その後の人生が大きく変わるようにも思います。

やっかいなのは、親が背負っている価値観です。そして、それらは、何世代か引き継がれて歪んだモノの可能性が高いからです。

誰でも、そのような価値観に対して、ささやかな抵抗を試みるものの、根負けしてしまうという人が多いようです。

親からの指示命令というものそれですね。

「何々しなさい」と言われれば、言われたこと以外しなくなる可能性もあります。
「何々してはいけません」と言われれば、ナニもしてはいけないとすり込まれる危険もあります。

「いい子だね」と褒められれば、悪いことをしてしまった時に、自分は親の前にはいい子でいなければいけないと、ウソをついてしまうことが出てきますよね。そして、自分は親にウソをついてしまった悪い子だと自分を責めてしまうのです。

その時には、必要なウソだった。と、自分の中で合理化するか?ですね。

その時々の、向ける先がない「?」がウソを大きくしてしまうのです。

それぞれの意思が表現できる年齢になったら、子の気持ちを聴くことも重要なコトのようです。