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永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

祈りは信頼である

祈りたい気持ちになるときがあります。

 

困難に直面したから?

自分の願いを聞き届けてもらうため?

確かに、そこが入り口になると思います。

 

一方、願っていたことが叶ったとか、思わぬ祝福が降ってきた渡感じたとか。

子どもが誕生したとか、

感謝をしなくては、気持ちが収まらないような経験もあることでしょう。

 

でも、その背景には、祈りを捧げる相手(私の場合は創造主である主=唯一の神)に対する信頼があってこそ成り立つことだと考えています。

 

神の対する信頼が土台にあって、それにいろいろなモノがついてくるイメージですね。

 

「まず、神の国と神の義を求めよ」

 

から始まるということでしょう。

 

もしそれがなくて、一時的な繁栄があったなら、いずれしぼむコトになるかもしれません。

別の表現をするなら、経済的にもし萎んだとしても、土台がなければ何も残らず、ただたえられなくなるのではないでしょうか?