永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

怒りのこと

だれでも、「怒り」はある。

 

それをどのように消化するかで、人生が変わる。

 

「怒りを遅くする者は勇士にまさり、おのれの心を治むる者は城を攻取る者にまさる(箴言16:32)」

と書いてあるが、それほどハードルが高いものなのでしょうね。

 

怒りに振り回されて、モノや人に当たり、無関係の所に怒りをぶちまけるケースが昔からあるけれど、最近、多く見受けられるようになっているように感じられる。無差別殺人などがそれですね。

 

具体的に、どうするか?というのは、千差万別で、それぞれの環境で「怒りを消化」できる方法が見つかれば幸いですね。自分も無関係の所も傷つけない方法ですね。

「袋に皿を入れて割った」とか「誰もいない浜辺で絶叫して怒りをはき出した」とか「信頼している人に怒りの内容を話した」などありますね。

 

これは、心をととのえる方法でもあるので、非常に大切な部分ですね。

 

また、

「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。しるして『主言い給う、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり(ロマ12:19)」

とも書いてあります。

「感情の整理」と「行為の選択」にわけて考える必要はありますね。「感情の整理」が前項で書いた「怒りの消化」と考えて「何に対する怒りであるかを探ってみる事」が大切ですね。

しかし、怒りの感情に振り回されて、自ら復讐する事を、神は「やめておきなさい」と言っているのです。その「復讐」は任せなさいと・・。

 

ただ、「私は、○○をされた(言われた)ときに、強い怒りを感じた」と事実を共有する事も大切なのですね。その要因を発した相手と共有できればよいのでしょうけど、そうも行かないケースも多いので、ケースバイケースの臨機応変な対応が必要なのですね。