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永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自己主張ができる?イタリアの子育て

たまたま図書館の旅行関係のコーナーで目に止まった本の中にイタリアでの子育てについて書かれていた。㈱リクルートを経てフリーライタに転身され、さらにイタリアに移住された岩田砂和子さんの著書 「ローマの平日」 p10~p12より引用させて頂きます。彼女の鋭い観察眼とユニークな表現力に引きこまれ、内容の可笑しさにお腹を抱えながら読ませていただいた。プロフィールに「趣味は、実益を兼ねた不思議なイタリア人の生態研究」と書いてあるが、まさに生態リポートになっているようだ。

 

ここから引用

イタリアオンナはこうやって作られるのだ。

自信溢れるオンナたちは産まれたときから?

 イタリア女性のおそらく9割以上は、自分を「世界で一番素敵な、あ・た・し」と思って暮らしています。はっきり言って、テレビや雑誌で見かけるような美人なんて、結構いないもの。「私なんて…」と控えめで素直な女性の売れ行きが良く、また、控えめさこそ美徳と洗脳されている日本人女性にとっては、その自画自賛ぶりには驚くばかり。何故にイタリア女性たちはそんなに自信に溢れているの?!

「アモーレ・ミーオ! 君は世界で一番キレイだよ!」

 イタリアの女の子は、人生で出会う最初の男性、つまりパパからなめるようにかわいがられて育ちます。「そうかしらん…?」なんてまじまじと子供の顔を見てはいけません。親がいいならそれでいいのです。

(※アモーレ・ミーオ!は「私の大切な人」)

日本では謙遜たっぷりに、「うちの子、私に似ちゃって目が細いのよ。残念」なんて言う母親がいますよね。しかし、これをイタリアでやるとた~いへん。「そんなことないですよ~、カワイイ赤ちゃん!」と他人がお決まりのお世辞を言う前に、「何を言うか~! 自分の子をそんな風に言うなんてキミはなんて人なんだ! よく見てごらん。こんなにキレイな女の子は見たことがない! ああ、アモーレ・ミーオ! 何でこんなに美しいんだぁ!!」と、パパが騒ぎ出します。はたで見ていて「これ以上改めて褒めることはないだろうな」という気にさせられるほどに。

 

 少し大きくなれば美しさを称える他に、「ブラーバ!」が加わります。周囲の大人達は、「窓を閉めてくれたのね、ブラーバ」「全部食べたね、ブラーバ」とことあるごとに褒めちぎります。「本当にブラーバか?!」と細かく観察してはいけません。だって、そこに存在して、動いているだけで親は嬉しいんだから。

(※ブラーバはブラーボ女性形で、「良くできました」というときに使います。)

 ある時、こんなことがありました。電車の中で「私は小さくてかわいいんだから、ちょーだい!」と自己申告付きのわがままな理由で、女の子(推定4歳)にお菓子をもぎとられたのです。推定4歳児相手に本気でムカッとした私は、この怒りの矛先を責任者である母親に向けるべく、キッと視線を送ると、そこにはいわゆる「目に入れても痛くない」笑顔で我が子を見つめる母の姿がありました。彼女の笑顔には「ブラーバ!自己主張できて偉いわ、うちの子」という誇りすら浮かんでいたのです。

 この誉め誉めモードは、成長に合わせ、褒めどころを換えながら、永遠に続きます。学校のお友達と仲良くできなければ、「自分に合う友だちを選べてエライ」。成績が悪ければ、「勉強以外に興味を持っているのね、視野が広い」。太めなら「グラマーね」、お痩せさんなら「スキニーね」と、とどまるところを知りません。徹底的に正当化され、「アナタは私のテゾーロよ」と抱きしめられて育つ彼女たち。かくして「世界にたった一人の大切な私」の出来上がり。(以下略)

 

ここまで引用

 

 

違和感を感じる所

☆キレイには基準はないけど、煽てて増長させる要因となっているだろうこと

☆できたことだけを見てを褒めることは、つまり結果だけを重視しているように見えること

☆自己主張は大切なのだけどそれに偏りすぎていると見受けられること

 

褒めて育てることは必要なことでしょうけど、何をどのように褒めるかが大切なようですね。

 

重要な視点

☆協調性も大切だとの視点がほしいこと

☆できたいことを共に喜んで共有することは大切なこと

☆大切なかけがえのない存在であることを伝える

 

イタリア人と日本人の間に産まれた自己主張ができて協調性もある人が増えるとイタリア社会も変化が見られるかもしれませんね。

 

存在を認めて自立した自己を確立するためにはどう褒めたら良いのでしょうね?