永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

『永遠の命があるつもりで夢を抱け、今日限りの命と思って生きろbyジェームス・ディーン(世界の名言名句1001より)』

同じような言葉をムハンマドエラスムスマハトマ・ガンジーも口にしたと伝えられています。

24才という若さで、速すぎる死を遂げたジェームス・ディーンが発進したからこそ、多くの人が知る名言として残っているのかも知れないですね。

永遠の幸福マインドで生きられるというインフォメーションをしているこのサイトでは、永遠の生命保険に確信を得て、「今ココ」を精一杯生きるということをくり返しお伝えしています。

自分が、抱える不安要素で、肉体的生命のせかいのおわり(肉体的死)をクリアしておけば、かなり不安の軽減に繋がるのではないでしょうか。

永遠の限りない領域の不安の自動思考から解放されることによって、今を精一杯エンジョイできるのですね。

心が重たいと感じたら、不安要素の棚卸しと整理整頓をしてみるのも大切ですね。

神探しをする人間 権力と権威のカラクリ

結論から言えば、聖書の原則に基づけば、創造主が全世界と人間を造られたのです。

ですから、人間は創造主である神の存在を認める以外に選択肢はないようです。

しかし、人間には、自然界を通じての啓示がなされるだけという人が多いために、そのような創造主である神からのアプローチに対して、創造主である神の存在に不安を感じるのでしょうか?

創造主である神の導きによって、ようやく出エジプトを果たしたイスラエルの人達は、モーセシナイ山に登っている間に、不安を感じて、「金の子牛」をつくり出すという行動に出ました。

人間の歴史は、正に、これのくり返しですね。

自分にとって、欲望や願望を叶えてくれる存在を常に探しているのですね。

そして、見つからなければ、つくりだしてしまうと言う荒技に出るのですね。

人間は、生きていく上で、秩序が必要になってくると、それを裏付ける権威を求められたりします。

そして、絶対的に振る舞う場合には、強権が発動できる権力をどのようにつくりだし、どのように運用するか考えをめぐらすのです。

権力と権威を結び着けると民の心を踏みにじる圧政という厄介なことも起こります。

これらを避けるためには、まず「創造主である神の権威」を認めるところから、再構築することが大切なようですね。

これが、一人一人の心の王国に適用されていくことによって、平和な世の中が実現していくのですね。

運命を受け容れるステップ

「キューブラーロス、看取りの五段階説」を要約すると
人間は、自らの死が近いことを知ると、その事実を拒否し、怒り、もがいて回避したいと考え、避けられないと分かると抑鬱状態になり、だんだん死を受容するようになる。

と言うモノですね。

引用されるケースが非常に多いのです。

自分で抗えない現実を目の当たりにするときに、立ち向かうのか、背を向けるのか、うなだれるのか、状況や性格によっても違いますね。

「そんなことあり得ない」と言ってみても、現実が目の前にありますよね。

怒ってみても、現実は砕けません。

むしろ、その立ちはだかる現実を超える手段が見つからないからこそ、不安が増大して怒りに拍車がかかるのでしょうね。

それでも、どうにか避けられないかともがいてみる。

何も有効な手段がないと、精神的に落ち込んでしまいますね。

やがて、避けられない現実は受け止める以外に方法がないという領域に入っていくのですね。

死という現実でなくても、未体験ゾーンに遭遇するときに起きる心の変化と考えるコトもできるのですね。

これを客観的に味わうか、自分なりのショートカットの対処法を開発するか選択肢は色々ありますね。

とんでもない、そんなことが起こるはずがない

『そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」
しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:21-23新改訳2017)』

人間の都合は、「そんなこと起きて欲しくない」という気持ちが大きいですね。

人知を越えた自然災害なども、それによって理不尽だと感じる被害に遭う人もいます。

そのような理不尽を体験や、間も当たりにしたくないという気持ちが強ければ、「そんなこと起きて欲しくない」と言ってしまうのでしょうね。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──【主】のことば──(イザヤ55:8新改訳2017)」

と、ありますから、人には及ばない、創造主である神の理由があるのだろうと、気持ちの整理をするのですが、スッキリしないことも多くなってきましたね。

ペテロが、否定したかったのは、イエス・キリストの死です。

弟子達は、イエス・キリストと共に生きていたから、自分たちを保てていたという要素が大きいかも知れません。

イエス・キリストが殺されるとなると、それが崩れてしまうということでしょうか。

でも、それは、サタンの思いがペテロの口を通じて出てきたとイエス・キリストは指摘しています。

サタンにとっては、「原福音」の成就だけは絶対に避けないと、自分の運命が定まってしまうのですから必死な訳です。

創造主である神のプランは、様々な人の思いやサタンの妨害を交えながら、最善最適なタイミングで成就されるのですね。

クマがアピールしても

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仲良しの犬とクマのようですね。

クマは、クマであることを犬に対してアピールしているのですが、犬は動じないと言うよりも、見てさえくれない。

これでは、「クマった」という感じでしょうか。

かわいいアピールに癒やされます。

動物通し、お互いがエサに困らない限りは仲良くできるのですね。

百獣の王と言われるライオンがいつも狩りをしている訳ではなく、お腹がすいた時にだけ狩りをするのですね。

それも、草食動物を相手にしても、かんたんには、エサになってくれないようですから、自然界で生き抜くのは命懸けですね。

共存することの難しさと大切さ

ガンを罹患する人が多いと盛んに言われるようになってきました。

部位や状態によって対処は様々なようですね。

「切除が可能ならすぐ切除する」と判断するケースもあれば「切除せずに他の方法を試みる」という場合や「切除せず放置する」ということもあります。

どれを選択するかは、本人が決めればよいことです。

しかし、再発や転移をするケースも耳にしますから、切除したら完治とはいかないようですね。

一方、切除しないで共存するという判断も勇気がいることです。

この方法で、結構、長生きする例もありますね。

積極的な治療法は、「きる、やく、もる」といわれ、「手術、放射線治療抗がん剤治療」で、免疫力の低下も伴いますから、それによるダメージも寿命を縮める要因といわれています。

積極的な治療法を選ばない人が、長生きする例は、基本的な免疫力が温存できているからかも知れませんね。

自分が、がんだと宣告されたときに、どのような判断をするか?シミュレーションをしておくのも悪くないですね。

人間は受け身からはじまる

野原を駆け回る野生動物は、生まれてすぐに立ち上がります。

ミルクを飲みますが、成体になるのもはやく、自分で動けるようになります。

一方、高等動物と言われる人間は、歩き回れるようになるまで約一年必要ですね。

その間に、ミルクをもらい、オムツを替えてもらって、抱っこにおんぶに、周囲のサポートによって、受け身の生活をすることになります。

また、身体は成長しても、未体験のコトを習得するためには、また、受け身の姿勢からはじまります。

先生のお手本をまねしながら、時には、手を添えてもらいながら、見て、やってみて、少しずつ習得していくのですね。

器用な人は、見よう見まねで、独自の方法で習熟していくケースもありますが、少数派なのではないでしょうか。

受け身と言えば、柔道を思い浮かべますが、柔道の基本も受け身だそうですね。

ダメージを最小限にするために、そして、ケガをしないためには、受け身が大切なのだそうです。

相撲の場合は、股割り(またわり)という柔軟体操をして、ケガをしないようにするのだそうです。

人生の中で受け身がとれない時に、「今は受け身の時」と、気持ちを切り替えられると違うアイデアが浮かぶかも知れないですね。