永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

新発見と言ってみても実は・・・

『「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか前の時代にすでにあったものだ。(伝1:10新改訳聖書2017)』

怪魚ハンターという肩書で活動している方もいるようですね。

そのような方が、深海魚などを釣り上げると、未知の魚だったりするようです。

ノアの時代に大洪水があり、陸上の生物は、方舟で保護されなかった対象は命を絶たれたのですね。

しかし、水の中の生物は、中には陸にあげられて化石になったりしたでしょうが、水の中にいたものは生き延びたのでしょうね。

特に深海魚などは、「シーラカンス」と言われる魚は、「生きた化石」などと言われて来ましたが、本当に生きている個体がいるそうですね。

深海というのは、人間にとっては、未知の領域なのでしょう。

「これは、はじめての発見だ」と叫んでも、人間にとって記録がないということであって、それをデザインして創造した創造主がいるのですね。

創造主がいるなんて信じられない、あるいは、信じたくないという方々もいます。

でも、いのちは偶然には存在しないという現実をどのように理解するのかというテーマがクリアできないのではないでしょうか?

世界最強の闘犬も怖がる相手とは?

youtu.be

外見は迫力満点ですね。

でも、繊細な部分もあるようですね。

同居している猫ちゃんにスゴく気を使っていて、自分をじっと見つめている猫ちゃんを横目に見ながら片足を上げて固まってしまいます。

人間でも、「体が大きい人は気が小さい」と言われることが多いですね。

外見が迫力満点の格闘家でも、体格的にはるかに及ばないであろうパートナーの女性には歯が立たない光景を目にしたことがある人も多いでしょうね。

猫ちゃんは、好奇心旺盛ですが、気まぐれな部分もあるようで、自分の領域に他者が侵入するのは、猫パンチや引っ掻きワザで阻止しますからご用心ですね。

時には、クマを相手にして撃退する猫ちゃんもいるみたいですね。

人間も勝負は迫力でしょうから、気合い負けだけはしないようにしたいですね。

罰よりも再犯の方向から転身することが大切

違法行為をしたら、刑事裁判があり、刑罰に服するという流れがあります。

文化的背景で、「恥」とか「罰」などが根強くある地域もあります。

民衆の興味を引くのが「罰」なのだそうです。

でも、死刑以外ならば、その人は、寿命の限り生き続ける必要があります。

状況を俯瞰すると、一番大変な思いをしたのは「被害者」です。次に、被害者家族ですね。

その次くらいに、共犯でなければ「加害者家族」も入ってくるのでしょうね。

加害者本人は、反省というよりも、「どうして違法行為に手を染めてしまったのか?」を冷静に見つめて、今後の転身ができるかどうかにかかっているのでしょうね。

それさえもできなければ、違法行為を繰り返すループからは抜け出せないでしょう。

「どうして?」から「だから、これからどうするか?」をサポートできれば再犯率は下がるのですね。

「犯人は、この人!」というニュース、そして、「刑罰はこれくらい」というニュースが大半です。

それを見ている多くの人の中で、どうしたら再犯しないですむのかという視点はないのではないでしょうか?

大リーガー選手が薬物犯罪から更生中の元プロ野球選手を支援するとメッセージを発していました。

このようなサポートが実を結ぶと良いですね。

掟は破るためにこそある

最近公開された映画のサブタイトルだそうです。

掟というのは、権力者が民を縛るために用いられた時代もありました。

現在の憲法は、権力者を縛るためのニーズが強いようです。

その憲法を権力者の都合でどうにでもしてやれと考えるとどんな世の中になってしまうのか懸念されています。

時代が転換期に向かう時には、歴史によれば、タイトルのように「掟は破るためにこそある」という集団が形成されていくという流れがあるようです。

今も、そのような時期なのかも知れません。

権力者から人心が離れた時がその時なのかも知れませんね。

しても良いと判断する根拠

幼稚園児は「〇〇くんがいいって言った」とか「先生がいいって言った」という根拠でしょうか?

法律のスキマ、いわゆるグレーゾーンの判断は、道徳ルールなのか、慣習ルールなのかを考える必要がありますね。

「悪口を言ってはいけない」というローカルルールの張り紙がなかったから悪口を言っても良いと判断する人も存在するようです。

これは、道徳ルールに照らせば、明らかにおかしいと感じる人が多いでしょうね。

それでも、「悪口罪」なんてないと強弁して、悪口を言う人もいる世の中なのかも知れませんね。

また、ある所には「飲食禁止」と書いてあったが、同じ建物の違う所には書いてなかったので、飲食する。

これは、慣習ルールなので、どうして飲食禁止なのかを確認する必要がありそうです。

その建物の管理者が、どのような判断基準で、飲食禁止としているかで、可否が決まってきそうだからです。

無用なトラブルを起こさないように、ローカルルールはあるので、そこに集う人たちがより良い気持ちで過ごせるような配慮ができるコミュニティーは羨ましいと感じる人が多いでしょうね。

ガッカリすると頬が下がる感じになる

ほとんどの人が「ガッカリ」した経験をもっているでしょうね。

そんな時、どのような表情になりますか?

筆者の場合は、オーバーに表現すれば、頬の筋肉が弛緩して制御不能になります。

呆れるほどガッカリなら「開いた口が塞がらない」という言葉のように、顎が外れてしまうほどになってしまうでしょうね。

これは、「自分の期待から外れていた結果」に対しての自分の反応ですね。

つまり、自分が当てにしていた的からは、外れた結果になったということです。

自分の情報の伝え方が悪くて、期待はずれの結果を招いたとしたら、それは、もう一つ、ガッカリすることでしょう。

しかし、自分に落ち度が無いと感じる物事は受け入れる以外に方法はないですね。

まず、「今、私はがっかりしている」と認知して、自分の手で、アゴを持ち上げ、頬の筋肉をマッサージしながら、次に期待することにしましょう。

近い将来に、9.11について、顎が外れてしまうほどの情報公開がされるかも知れません。

まず聞いて欲しい顧客と聞くのは最小限にしたい店員

最近は、製品について問い合わせをするにも、まずコンピューターが対応し、電話機を操作して目的の担当者にたどり着かなければならなくなりました。

これが結構ストレスですね。

自分が問い合わせしようとしている内容と提示されるメニューがナカナカ一致しないのですね。

店舗に出向いても、まずは、整理券をとって待つところが増えてきました。

先進的な場所では、AIロボットが応対してくれます。

そうなのです。コンピューター音声やロボットにはアクセスしやすくても、肝心の人間にたどり着けない時代なのです。

エレベターガールが絶滅危惧種なのに加えて、受付嬢もロボットに置き換わる寂しい傾向が漂ってきました。

ユーザーの立場の印象では、「できるだけ核心部分しか聞きたくない店員」という感じですね。

もちろん責任範囲の回避などもありますし、合理化や効率を最大限にしようとする動きは否定はしません。

でも、最近は、行き過ぎている印象を持つ人が多いようです。

若い店員ともめたら「年増の店員」が出てきて対応してくれたとのことです。

「年増」の能力が非常に役に立つスキルであることを自覚して、役割を果たして行けるといいですね。

長寿社会の日本、ますます困る人が増えていく時代に、「年増スキル」による物腰の柔らかい接客を期待したいものです。