永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「成功」ということばに惑わされない

「成功」というのは過程(プロセス)に関わるものです。

「幸福」は、存在に関わるものです。

ですから、

『存在していること、生きていること自体が「幸福」であり、「成功」とは関係なく、すでに人は「幸福」で「ある」のです。』(老いる勇気…岸見一郎著p144)

資本主義の世の中は、「成功者」が持て囃される傾向があります。

ただし、「成功者」の中で、「幸福」を継続的に実感できている人は、どれだけいるのでしょうね。

生き馬の目を抜くように「成功」というプロセスは、あっという間に過ぎ去り、断崖絶壁のような崖がみえて来たりしますね。

人生には、そのような要素は付き物です。

「成功」すれば「幸福」になれるというのは、ケース・バイ・ケースということのようですね。

ならば、確実な方を大切にしたらよろしいのではないでしょうか?

「幸福」ですね。

三木清氏は、人生論ノートの中で

「…真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。」

と述べています。

つまり、「幸福」は自分の生命と一体という考え方なのですね。

叔父・叔母の心理学 ほどよい距離感

「利害関係人」という言葉があります。

それぞれの言動や行動で利益にもなり、害にもなる関係性のことです。

親子の場合、子に対して、「そんな事するんだったらお小遣いなしよ!」などが一例ですね。

ですから、子がある程度成長すれば、不用意な言動はしないようになるのケースが多いのですね。

それに対して、叔父や叔母、祖父や祖母などは、直接的な利害関係が薄いと、素直に話しやすく、聞く側もある程度、冷静に話を聞くことができるわけですね。

親子よりも、少し遠く、程よい距離感で、相対し、互いの領域に土足で踏み込まないのであれば、良好な関係性が可能なのですね。

甥っ子や姪っ子が、どんなボールを投げてきても、きちんと認めて、「それはおかしい」と頭から否定することなく、「そうなんだ。」と受け止めることができるのですね。

例え、内容に賛成できなくても、考え方を理解することから始めることができるのですね。

程よい距離感と適正な理解ができると、親子でもより良好な関わりが目指せるのではないでしょうか?

「今ここにいる。ほかに何を望もうか。」

哲学者 鶴見 俊輔 氏(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)のことばです。

「今ココ」を生きる人は、人間として理想の生き方をしている。

もちろん、人の「今ココ」は、常に移動します。

それでも、移動した先の「今ココ」を充実させられるかどうかがポイントのようですね。

環境や状況よりも自分自身がどうかが、常に問われているというのですね。

「今ここにいる。他に何を望もうか。」

からは、自分の存在を受け入れた自己受容の強さを感じます。

愛の讃歌」という有名な歌があります。

「…あなたがいれば何もいらない。あなたと二人…」

という歌詞が出てくるのですが、その気持はいつまで続くのか?と議論したこともあります。

さて、一人で自立して生きるという究極の目標は、自己受容が自然にできるようになれば、その領域に生きていけるのですね。

「比較優位」が苦しむ原因かも

ひかくゆうい【比較優位 comparative advantage】
国々はなぜ貿易を行うのであろうか。ある国はなぜ自動車や鉄鋼を輸出し,石油や鉄鉱石を輸入するのであろうか。A.スミスやD.リカード以来,経済学者の間でこの疑問に答えようとする試みがさまざまな形でなされ,国際分業の理論として展開されてきた。比較優位という考えはリカードによって初めて明確に述べられ,以後国際分業の理論の中心概念となっている。各国は外国に比べて国内で割安に生産できる財に比較優位をもち,逆に他国に比べて国内で割高につく財に比較劣位をもつといわれる。

比較優位(ひかくゆうい)とは - コトバンク

 

ものさしを変えれば、優位性が見つかるという理解をすれば、わかりやすいと考えています。

別な言い方をすると、「自分の優位性を見つけるためのものさしを探す」ということでしょうね。

それも一つの方法だと思いますが、「比較」から距離をおいてみることも大切なのかも知れませんね。

それは、人は他者との比較にとどまらず、理想の自分との比較に苦しんでいる一面もあると感じますからね。

比較をするということは、理想から現実を減点するということです。

自分が積み上げてきたことを加点していくほうが、自分の足場を踏み固めていくことができるのではないでしょうか。

失敗したなあ(結果が望ましくなかった)と思った経験も加点できるのですからね。

非核化の流れは、平和の時代への道となるか?

『主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。(イザヤ2:4新改訳聖書2017)』

これは、もう少し先の時代のことでしょうか?

でも、2018年6月12日にシンガポールで開催されたアメリカ合衆国大統領北朝鮮民共和国のトップ会談は、歴史的にみても、世界支配層の変化を感じざるをえないほど大きな出来事でした。

「非核化」というワードが出ていますが、現実的に使えないのが、核兵器のようです。

以前にも、当ブログに書きましたが、北半球の大国の軍がそれぞれシミュレーションをしたところ、核兵器が使用された場合、北半球の90%の地域で人が住めなくなると出たそうです。

つまり、勝者なき戦いと言うことですね。

ですから、大国の軍の間では、無用な核の使用はしないし、戦争は避けるという点では合意があるそうです。

それが、9.11から学んだ教訓だそうです。

9.11からイラク攻撃をさせた勢力が失権したという所なのかも知れませんね。

非核化に向けてのローコストで画期的な技術が披露されることを期待しています。

原発も含めて、無害化することができれば理想ですね。

人間は、金属で農具を作り、また、それを兵器に作り変えてきた歴史を持っています。

今回のこの会談をきっかけにして、兵器を農具に作り変える方向性に行くことを実現させてほしいですね。

ゾウに子守歌を歌う飼育係

youtu.be

不思議な気持ちになる動画です。

大きな体の像が、飼育係の女性に子守唄を歌ってもらうのです。

そうすると、大きなゾウさんが、ゴロンと横になって、気持ちよく寝てしまうのですね。

見ている筆者も心地よく入眠できる感覚になりましたね。

子守唄を歌ってもらった記憶がないものですから、潜在的に残っていたのでしょうか?

もし、「3秒で眠れる講演会」という音声CDがあればよく売れる時代なのかも知れませんね。

まずは、この動画でお試しを

仲間や家族という縛りに気づくことが大切

人間は、少なからずコミュニティで生きています。

家族であったり、ある種の仲間であったりとの関係で生かされている要素があります。

しかし、それが、時には鬱陶しく感じてしまうこともあるのですね。

「みんなちがってみんないい(金子みすゞ)」

世界に一つだけの花槇原敬之)」

 

などと、個性を認めるキャッチフレーズは叫ばれるのですが、「絆」と言われたりする「鎖」を「束縛」だと感じている人も多いのでしょうね。

助け合うための必要な距離感であったり、自立を保つために必要な距離感などをTPOに合わせて、好い加減が探れると、良好な関わりを継続することができるのでしょうね。

特に、家族の場合には、親は親としての良かれがあったり、子としてはそっとしておいて欲しいときがあったりしますからね。

どのように接してほしいかのリクエストを冷静にぶつけられる関係性が一番健全なのかも知れませんね。