永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

新生とは

「さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。…(ヨハネ3:1-15【新改訳2017】)」

フルクテンバウム師の解説によると、パリサイ派ユダヤ教には「新しく生まれ変わる方法が6つ」あるそうです。
(1)異邦人がユダヤ教に改宗したら、その異邦人は生まれ変わったと宣言される。
(2)王として戴冠式を迎える時に、その王は生まれ変わったと宣言される。
(3)ユダヤ人の成人式(バルミツバー)の儀式で生まれ変わったとされる。
(4)結婚した時に生まれ変わったとされる。
(5)ラビとしての任職を受けることで生まれ変わったとされる。
(6)ユダヤ教の神学校の校長に任命された時に生まれ変わったとされる。

彼が、知っている生まれ変わることは、(1)~(6)で、彼が対象になる(3)~(6)はすべて体験済みだったのです。

ですから、ニコデモというラビの先生がコッソリとイエスの所に来て質問をしたのです。

彼が知らなかった「霊によって生まれる(新生)」の方法をイエス・キリスト直伝で教えられたのです。

その大切な二つのステップが次の箇所に記されています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16【新改訳2017】)」

第一ステップは「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」で、創造主である神の側ですでに完成されています。

第二ステップは「それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」で、イエスが神の贖いの仲介者でありそのイエスを信じることで霊的に生まれ変わることができるということなのですね。

ニコデモにとっては、全く新しい解説ですから、信じるのに3年間ほどかかったようですね。

ニコデモは、やがて、十字架に架けられて死亡したイエス・キリストを葬る一人になるのです。

ただ、信じることがどれ程の葛藤を生み出すかということなのでしょうね。

創造主である神から示された「霊によって生まれる方法」は、これだけです。シンプルに「信じる」か「信じないか」のどちらかだけなのですね。

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シェパードと赤ちゃんのステキな関係

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生き物としてのお付き合いなのでしょうか?

人間の赤ちゃんもハイハイしている時には、四足歩行の仲間ですから、シェパードも親近感が湧いてくるのかも知れないですね。

言葉がなくても通じ合うというお手本のコミュニケーションだとも感じます。

シェパードの誘い方も絶妙のタイミングですよね。

コミュニケーションで大切な「距離感」や「タイミング」を会得している賢いシェパードですね。

この赤ちゃんの将来も楽しみになりますね。

孤独と孤立

一人でいると、「一人は寂しい」という固定観念を持った人がアプローチしてくるコトがあります。

人の存在単位は、「一人」ですから、一人でいても大丈夫なはずですよね。

でも、一人でいる時のマインドがキーポイントになりそうですね。

一人でいると寂しい(孤立無援)と感じる人もいれば、一人でいても生き生きとしてエンジョイできる人もいます。

寂しさを感じる人は、寂しさを解消するために、出会いを求めたり、活発に活動する人もいますが、結構疲れると漏らすケースもあります。

不思議なのは、一人でいても大丈夫という人には、人が寄ってきたりするコトがあるのですね。

適度に人付き合いもできるし、一人の時間も大切にするし、というマインドが鍛えられれば、孤立無援と感じていた状況が一変するかも知れないですよ。

いつも、繋がっていなければ不安な人口が多い時代に勇気がいるかも知れませんが、このマインド転換は、人生にとって大切だと考えています。

もう一つの要素は、創造主である神を信じる信仰者には、どこに居ても共に居てくださる存在があるのです。

ですから、一人でいても大丈夫なのですよ。

「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(【新改訳2017】マタ 28:20)」

自分に与えられている時間を有効に大切に使うという趣旨で書いていますので、無用な周囲とトラブルを構えることはおすすめしません。

どこに居ても精神的自立が課題

一言で「自立」といっても、視点によって多くの判断基準があります。

「自立」していても、周囲の見守りやサポートによって支えられているのが現実ですね。

「自分の心の足で立つ意志」という視点が大切なのだと考えます。

要素としたら「他人のせいにしない」や「利己主義からの卒業」でしょうね。

その中で、重要なマインドは「I'm OK! You are OK!」ということなのでしょうね。

つまり、自分も居心地がよく、その場に居る人も、居心地が良い配慮ができるかどうかが、大切なキーポイントですね。

そのためには、自分のこの願望だけは遂げたいものだという、利己的な思いから距離を置くことも求められますね。

自分の願望を共感共有できる空間が得られれば一番良いのでしょうね。

そのためにも、「自分も大丈夫!周囲の人も大丈夫!」が考えられるマインドを鍛えたいですね。

「オイ、病気は必ずしも治らなくていいんだって」

タイトルは、精神科医である工藤信夫医師の診察を受けた男性が妻に語ったことばです。

「オイ、病気は必ずしも治らなくてもいいんだって。工藤先生は、人間、治らない病気を抱えていても生きていく道があるから自信を持て、とおっしゃった。」と新しい道でも見つけたような喜びを持って帰ってきました。
わたしは、あんなに生き生きとした主人を、長い間、見たことがありませんでした。
(福音は届いていますか?工藤信夫著…p285より引用)

人生の中では、完治する病気と、不治の病気があります。

本人や家族の願いは完治であっても、不治であるコトが、現実的にはあるのですね。

聖書の中には、このような記述もあります。

「さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」(ヨハ9:1-3【新改訳2017】)

人がハンディキャップを負うのは、「神のわざが現れるため」と記されています。

ハンディを背負うのは、多くの制限も出てくるでしょうが、創造主である神のわざが現れるとのことですね。

軽々にはいえませんが、あえて言うならば、制限が与えられた自由を抑圧するのではなくて、制限の中にあっても自由は満喫できるということなのでしょうね。

制限があってもなくてもという視点で現実を見てみるとマインドも変わるのではないでしょうか?

IKEA「言葉のいじめに関する実験動画」

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耳にはしていましたが、ここまでの差が出るとはビックリです。

植物でもここまでの影響を受けるのですから、言葉を理解する人間にはさらに大きな影響があるのかも知れませんね。

「喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。(箴 17:22【新改訳2017】)」

このような聖言もあります。

人に語りかける時には、気をつけたいですね。

解放され自由を得るために

「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。奴隷はいつまでも家にいるわけではありませんが、息子はいつまでもいます。ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。(ヨハ8:31-36【新改訳2017】)」

人は自由意志を与えられています。

しかし、現実は自由を満喫できている人は、むしろ少数派なのかも知れませんね。

それぞれで差はあると思うのですが、自分の生育歴に囚われがあったり、親との関係に束縛などがあったり様々ですね。

対人関係をスムーズにするための距離感を取り直すことによってある程度の不要な束縛からは解放されるでしょうね。

残る最重要テーマは、自分自身との関係ですね。

分かりやすく言うと、ブレーキをかける自分とアクセルを踏む自分がいるということでしょうか?

もちろん、より安全に生きていくためには、防衛本能も大切です。

ですから、この二つの要素、アクセルとブレーキは必要不可欠なものですね。

車の運転をスムーズにするために、この要素を適切に使わないと、車に乗り込んでエンジンをかけているのに全然動かないようなコトになりかねないですね。

自由意志を発揮できるということは、この二つの要素を適切に使えるようになるというイメージでしょうね。

アダム以降の全人類が、「罪の奴隷状態」だったのを、御子イエス・キリストが解放して自由にしてくださったのですから、それが真理の本質なのですね。