永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

不安のタネ

人生は「ままならない」ことが多くを占めています。

これは、自分の能力では変えられない要素のことですね。

自分のマインドをどうするかとか、自分をどのように愛するかとか、自分の生活習慣などは、自分の意志で変えられる要素です。

でも、「ままならない」こと、つまり、自分で変えられない要素に取り憑かれれば、身動きが取れなくなってしまったりします。

それに、多くのエネルギーを注ぎ続けることになりますね。

もし、切り離す(手放す)コトが可能であれば、そのエネルギーを自分の意志で変えられる要素に回すコトができるようになりますね。

その差は、非常に大きいのですね。

「…たれか思い煩いて身の丈一尺加え得んや(マタイ6:27)」

 

健全に愛することの難しさ

子育てのアドバイスで「甘えはOK。甘やかしはNG」というものがあります。

その線引きは、人によって違うので、曖昧なのですね。

でも、それぞれの基準を明確にしておくことで、子ども達は、我が家のルールを覚えていくのですね。

別な言葉で言うと、「なんでもOK」という事では無いのですね。

大切なのは「ここまではOK」「ここからはNG」のラインです。

例えば、砂糖や甘味料を多く含んだ飲み物や脂質を多く含んだスナック菓子などを欲するままに与え続けるのは甘やかすことになるのですね。

たまに抱っこして欲しいとかというのは、甘えの部類でしょうかね。抱っこのクセがつくと困るからなどと、断固として抱っこしてあげないという話もありますが、スキンシップが満たされると離れるのが一般的なので受容していくことも必要なのでしょうね。あくまで、ケースバイケースですけどね。

健全に愛されて成長し、自立していくことは、養育者のハードルが高いことでもありますね。

デイリーの習慣

当ブログの記事は、一日に一記事はUPしたいと思い、今のところ継続できていますが、もし、毎日一記事UPできなくても、いのちには直接影響はなく、同じ一日なのですね。

この地球上には、生物が生きていくために不可欠な要素が、創造主によって用意されています。それを前提として人間は生きているのですね。

それを有難いと感じるか、当たり前と感じるかで、創造主へのスタンスも大きな差が出てくることでしょうね。

日常生活で、何かを決断して、習慣化して、それができることを有難いと思えるサイクルがあると、ホッとできるのですね。

習慣もだんだん改良(ブラッシュアップ)されていくモノでしょうし、一つの決断だけに囚われることも必要ない訳ですからね。

何かをやる決断、習慣化、感謝のシンプルなくり返しができれば、気持ちも楽になりますね。

地域密着型vs外遊型 どちらでもOK

外向タイプとか内向タイプとか分類されたりしますね。

外遊型の人は、旅行好きな人。

地域密着型な人は、自宅が大好きな人。

みたいな感じですね。

タイプの違いですから、その人に合っていれば何の問題も無い訳ですね。

引きこもっていても、立てこもっていても、地域密着型なのですね。

どこにいても、ストレスがないなどと言うことは無いですから、自分にとっての適度なストレスを感じられる所が良いのでしょうね。

人との交流も、自分から尋ねていくか、誰かが尋ねてきてくれるかの違いですし、今は、電話やメールなどの通信手段もあるわけです。

自分が表現しやすいツールを使ってコミュニケーションすることが可能ですからね。

人生には、待つ時期と攻める時期がありますから、どちらのタイプでも、そのタイミングを生かしていきたいですね。

フツーじゃ無いから注目される

フツーは興味を持たれないという一面もあります。

つまり、まじめだけれど退屈だとか、面白みに欠けるというニュアンスですね。

ですから、興味を持たれるために、高級ブランドの服を纏ったり、髪の毛をカラーリングしてみたりするということもありますね。

どちらがいいと言うモノでもありません。客観的なモノの見方があるなあというお話です。

フツーじゃない不倫や犯罪はニュースになり、フツーな人たちはニュースにならないという現実があります。

たくさんのフツーな人が支えている世の中ですから、フツーな人たちがもっと評価されてもいいのかも知れませんね。

「ボチボチな人生、でも最高な人生」を送っているステキな人たち、きっとたくさんいますよね。

何がフツーなのかは、すぐに変化してしまう世の中なので、猫の目も回るほどですね。

本当のゆとりって何だろう?

高級車と豪邸のセットで暮らすか、借家で車なしで暮らすのか、人生の選択は様々です。

人は、常に試されているのかも知れませんね。

より良い暮らしを手に入れやすくなっている時代ですが、それは、自分にとってチャンスなのかワナなのか見極めたいところです。

高級車と豪邸で、本当にゆとりがある暮らしなら良いでしょう。しかし、ローンに追われて、時間的にも、心のゆとりもすべて失ってしまう可能性もあります。

ゆとりを求めるのなら、借家で車を所有しない生き方が良い選択かも知れませんね。

例としては、両極端ですが、人生の中で、その時にあった身の丈で選択をして、多少のゆとりを持てるような暮らしが良いように感じます。

サムエル第一17章には、ペリシテ人ゴリアテという巨人に立ち向かう、当時、羊飼いをしていた少年ダビデについて記されてあります。

その時のサウル王もその他の屈強な兵士達も恐れて対抗できないような状況だったのですね。

羊飼いだったダビデは、クマやライオンと闘って、羊を守ったという実績がありました。そして、それを裏付けていたのは、創造主はその時と同じように守ってくださるという信仰による確信があったのです。

「神我を獅子の爪と熊の爪より救いいだしたまいたればこのペリシテ人の手よりも救いいだしたまわん…(サムエル第一17:37)」

それを聞いたサウル王は、自分の鎧甲をダビデに使わせようと試しましたが、結局、ダビデは羊飼いの装備(杖と石投げ器と小石5つ)で勝負に出かけたのでした。

そして、小石をゴリアテの眉間に命中させて勝利を得たのでした。

自分の痛みや不快感は理解して欲しい

「わかってください」と言う気持ち、ありますよね。

特に、痛い、かゆいなどの不快感は、本当のところは本人にしか分からないですね。

痛みのゲージなどに例えても、あくまでも、本人の感覚なのですからね。

かゆみでも、皮膚が入れ替わる表面上のかゆさもあれば、皮膚の下で変化がおきている時の痛がゆさであったり、一様では無いですね。

痛みの場合、重傷の場合、その時は痛みを感じないケースもあるようですから、人間の体は不思議につくられているのですね。

患者側としては、医師に対して、精一杯不快感を表現するように試みるのですが、どれだけ通じているか?疑問を感じている人も多いようです。

不快感を察して、共感し、ケアしてもらえるのが患者側の求めなのですね。

そもそも、人間の限界として「手当て」しかできない現実があるのですが、不快感がある本人からすると、手が届かない所は、特に癒やされるのだそうです。