永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自分の痛みや不快感は理解して欲しい

「わかってください」と言う気持ち、ありますよね。

特に、痛い、かゆいなどの不快感は、本当のところは本人にしか分からないですね。

痛みのゲージなどに例えても、あくまでも、本人の感覚なのですからね。

かゆみでも、皮膚が入れ替わる表面上のかゆさもあれば、皮膚の下で変化がおきている時の痛がゆさであったり、一様では無いですね。

痛みの場合、重傷の場合、その時は痛みを感じないケースもあるようですから、人間の体は不思議につくられているのですね。

患者側としては、医師に対して、精一杯不快感を表現するように試みるのですが、どれだけ通じているか?疑問を感じている人も多いようです。

不快感を察して、共感し、ケアしてもらえるのが患者側の求めなのですね。

そもそも、人間の限界として「手当て」しかできない現実があるのですが、不快感がある本人からすると、手が届かない所は、特に癒やされるのだそうです。

無かったことにできる?

Emailを送ってしまうと取り消すことは難しいです。
webメールの場合は、「メッセージを送信しました。」と表示されている間は、取り消しができるサービスもあるようですね。

最近では、「LINE」のサービスで、取り消し機能が追加されたとか話題になりましたね。メッセージを送ってから24時間以内であれば、トークルームから削除できるようです。

しかし、「○○さんがメッセージの送信を取り消しました」と表示されるとのことで、何らかのメッセージを送った痕跡は残ってしまうようです。

まあ、当然というか、こんな感じなのでしょうね。むしろ、先ほど届いていたはずのメッセージが、何の痕跡も無く消えていたら、「ハッキングされた」と感じる人も出てくることでしょうね。

また、相手のLINEをアップデートしていない場合は、取り消し機能が使えないそうです。

過去にしてしまった事は、基本的に消せないので、自分の非を相手に説明して謝るのが、一番大切なのでしょうね。

LINEのメッセージを送る前にもう一度冷静に見直してみる必要がありますね。

メールの場合でも、敬称のつけ忘れや宛先の間違いなど、気をつけていてもミスやエラーはおきるモノなので、なるべくそういうことが無いようにも、気をつけたいですね。

「自分がしてしまったことを無かったことにしたい」という気持ちは理解できますが、現実的には、不可能なのですね。

迅速 VS 慎重

「先んずれば人を制す」と「急いては事をし損じる」は、相反する要素がありますね。

時として、今を逃すと、次にいつチャンスがめぐってくるか分からないという時があります。でも、それは結果が望ましい方向性だったら、肯定的に捉えることができますね。

一方、「ココだ」と意気込んでみたモノの、望ましい結果を得られなかったとしたら、もっと、慎重に行動すればよかったと後悔してしまうかも知れませんね。

現実は、行動したら結果がでますから、まずはそれを受け容れる他ない訳ですね。

そして、冷静に振り返り(反省)、今度、そのようなチャンスがめぐってきた時に、どの要素が満たされていれば、迅速に行動してみようとか、整っていないので、ここは、慎重に行こうと、あらかじめラインを引いておくのも良いかも知れませんね。

目まぐるしい変化の中に生かされているので、ビーチフラッグのゲームのように、スピード勝負が必要な局面も多いです。でも、勝てない勝負ばかりしていてもエネルギーの消耗が激しくなって疲弊してしまいますのでご用心ですね。

オナモミのタネは、創造主のデザインによって、二段階に発芽できる構造になっているのだそうです。先んじて討ち死にすれば、次に控えている兵という感じでスゴいですね。

護身術 究極のワザ

最強の護身術は、「逃げること」だそうです。

しかし、走る速度にも個人差があり、相手の方が速ければ逃げ切れないために、どのような方法を使って対応するかが大切になってくるのですね。

相手がパンチを繰り出してくれば、拳を避ければOKというのですが、体がガチガチだと身動きが取れずに、パンチを食らってしまうかも知れませんね。

ロシアの護身術の中には、痛みを呼吸法で早急に和らげるというのもあるそうです。

体力差がある人には、急所攻撃をして反撃をする護身術もあるようです。

組み付かずに、相手の力を利用して、体勢の優劣を入れ替えるのが、基本の要素としてあるようです。

「遠当て」というのもあり、相手が攻撃の意志を見せたタイミングで、気をおくり、相手を動けなくするという高度なワザもあるようですね。

「気をおくる」というのは、意志の利害調整と考えれば、突き詰めると「気合い勝負」ということなのでしょうね。

平常心で、相手とコミュニケーションして、適度な気の交換を心がけたいですね。

祝福を求めて

大きな熊手を縁日で売っている理由があるそうです。「福をかき集める」のだそうです。
ですから、懐に余裕のある人は、できるだけ大きな熊手を購入していくとか。

実際にそうできるかは別として、その気持ちは理解できます。

出エジプトの時代に、イスラエルの人たちは40年間、荒野をグルグル移住していました。その間に、天から与えられていた食べ物があります。

これが「マナ(出16:13-35)」というモノです。「これは何だ?」という意味で民を養う「パン」だったのです。

これは、早朝に天から降ってきて、日が昇らないうちに、必要な分(一人1オメル)を集めるのです。欲張りな人は、たくさん取ったようですが、次の日になると食べられないものだったのですね。安息日の前日だけは、二日分集めても大丈夫でした。

賞味期限ではなく消費期限があったのですね。これは、毎日毎日、必要な分の備えがあることを感じさせられますね。

マナを1オメル分だけ、聖別して壺に取り置いて、これがやがて、契約の箱に収められました。アロンの芽が出た杖と律法が書かれた石盤とマナが収められた壺の三つが収蔵されました。

さて、福をどれだけかき集めるのがいいのかですが、かき集めたモノを上手に活用する人の所には、良い流れが継続するようです。

祝福の善循環をしていきたいですね。

一日千秋

新玉の年の初めの御寿
本年もよろしくお願い申し上げます。
2018年元旦

「…主の御前には一日は千年のごとく、千年は一日のごとし。主、その約束を果たすに遅きは、或人の遅しと思うが如きにあらず、ただ一人の亡ぶるをも望み給わず、凡ての人の悔い改めに至らんことを望みて汝等を永く忍び給うなり。されど、主の日は盗人のごとく来たらん。…されど我らは神の約束によりて、義の住むところの新しき天と新しき地とを待つ。(ペテロ後書3:8-13)」

ノアの洪水以前の寿命はメトセラの969才が最高記録でした。その他でも、900才という記述があります。明治時代の人生50年とはかけ離れた寿命ですね。

現在の日本では、厚生労働省12月13日発表、「平成27年(2015年)都道府県別生命表」によると男性 80.77才 女性 87.01才となっています。明治に比べるとかなり長寿になりましたね。しかし、ノアの洪水以前と比較するとかなりの開きがあります。

今は、平和を願う勢力と戦争によって利益を得たい勢力の戦いでカオス状態になっていますが、これらの後にくるメシア的王国では、「100才で死ぬのは若い」とされる、今よりも長寿な世の中が到来するようですよ。

エルサレムイスラエルの首都になるかどうかがテーマになってきていますが、聖書に書かれている内容をたどると、近い将来に、急転直下、認定される日が来るようですね。

そこから、いくつかの山や谷があって、平和にたどり着くのですね。

肉体的生命の寿命は、決して自分で決められるモノではなく天寿ですから、喜怒哀楽を満喫して全うしたいですね。

裂けた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。エピローグ

永遠の生命保険に加入された方、おめでとうございます。
すでに、信仰を持たれていた方には、確認の意味で大切な機会でしたね。
一元的に物事を捉えて、「どんなときも大丈夫」と言っている根拠は、この永遠の生命保険に根ざしています。人間を創造し生かしている創造主が、御子の生命を犠牲として、全人類の罪科を完済したのです。

ですから、「自分の存在を脅かす死の恐れ」は、怖がる必要がなくなったのです。この永遠生命保険に加入していれば、自分の中に大丈夫があるのです。不安のタネを拾った時に、大丈夫に立ち戻ることができるのですね。

一番大切なのは、今、自分が何に集中するかなのですね。
自分では思い煩うことしかできない不安要素を分離して考えていくと、エネルギーが分散化されずに、今までより効率的に課題に取り組める訳です。

永遠の幸福マインドで、創造主に感謝しつつ、肉体的生命を歩めるのですね。

「こんなの信じられないよ」と、お考えになる方もいらっしゃると思います。
いろいろな情報に接して熟考していただきたいです。

幸せとは、なにでしょうね。お金があったり、いい車、豪邸など、無いよりはあった方がより幸福感を得られるかも知れません。また、大切な家族も、要素の一つでしょうか?
確かに、肉体的生命で、生活していく上で、様々な価値観があり、自分の心の穴を埋めるためにそれが何で埋められるかを探し当てるのが人生の醍醐味でもありますね。自分は、それがあれば幸せなのだと思っているテーマが、いざ実現してみると、「違ったなあ、これじゃ無いのかな?」という繰り返しでもありますね。

永遠の差とは、永遠の生命保険に加入していれば「永遠の幸福」を新天新地で創造主と共に過ごすのですが、加入しなければ「尽きること無い火の池」で霊体が永遠にあぶり続けられると記されています。焼滅ぼされるのではなく、青白い炎の中でもだえ苦しむのだそうです。

自由意志が発揮できる間にも大きなポイントですね。ご家族を看取った方などは、その方と同じ所に行きたいとおっしゃいます。しかし、その方がどこにいるかは神のみぞ知るですね。もう一つ、認知機能も影響が出てくれば、自由意志を発揮できなくなる懸念がありますね。

信じるだけですから、今の環境で大丈夫です。教会に行くとか献金するとか、それは、実質的に関係はないのです。コミュニティが自分に合えば参加すれば良いのですね。

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↓2017/12/31公開

裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。エピローグ