永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

これがあれば いろいろ使えそう!

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透明人間になりたいという願望を持った人はかなりいると思います。

そんな、妄想を叶えてくれるアイテムかも知れません。

怪しいマジシャンのような人が出てきます。

不思議なシートを広げると周囲の景色に溶け込んで分からなくなるという目を疑うような動画です。

悪用厳禁ですが、あなたなら、何に使いますか?

まじめな風貌 でも中身は?

普通と評される人は複雑な気持ちを抱えているようです。

「まじめ」とか言われると「面白みがない」と言われているようだと感じるのだそうです。

でも、風貌は生まれ持った要素でもありますから、そう簡単に変えることもできませんね。

一方、ひょうきんな風貌をしている方が、中身はスゴく超まじめだったりします。

外見と中身のギャップがあるからこそ、その人を知りたいという興味が湧くのかも知れません。

そのギャップが、魅力なのでしょうね。

また、無表情な人は、ミステリー感が強く、これも、好奇心旺盛な人には、興味の対象になるようですね。

世の中の大半の人が「まじめ」な人だと思います。外見がどうであれね。

お笑いを追求する人たちも、「まじめ」な人たちが多いとも聞きます。

道化師(ピエロ)は、外見は道化の格好をしていますが、内面はひとりの人間、深刻な「笑いものになる」痛み苦しみを抱えているのかも。

道化師に志願する人、人を楽しませ笑わせたいという使命を感じる人は、結構ハードルが高いのかも知れませんね。

有名な楽しい曲を転調してみると 悲しくなる

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0:27あたりから、「ハッピーバースデー」がはじまります。

他にも、「ジングルベル」や人生で楽しい嬉しい時に聞いてきた曲なのですが、これを聴くと、なぜだかしんみりとしてしまいます。

個人的には、嫌いではない、ステキなアレンジだと思います。

ただ、マイナーコードに転調するというだけで、ここまで、感じ方を変えてしまうとは、すごいことですね。

しかし、人は日常的に、このようなことをしているのだと「はっと」気づかされます。

嫉妬を感じていれば、喜ばしいことでも、素直に喜ぶことができなくなります。

それに反して、「他人の不幸は蜜の味」といわれるように、その人にとって不幸な出来事でも、嘲って笑いものにしているということも現実に多くあります。

自分のことでも、素直に喜べないなど、出来事をメジャーコードではなくマイナーコードで捉えていることがあるのではないでしょうか?

それを、客観的に見つめることができると、いろいろなモノが見えてきて、それまでとは違う対応ができることになることでしょう。

現実を受け容れるための考えかた

 「我裸にて母の胎を出たり、又裸にて彼処に帰らん。エホバ与えエホバ取りたまうなり。エホバの御名は讃むべきかな。この事においてヨブは全く罪を犯さず神にむかいて愚なることを言ざりき(ヨブ1:21-22)」

ヨブは、アブラハムと同じ時代の族長のようです。

アブラハムの子孫が唯一の神(三位一体、ここでは「エホバ」とでている)の選びの民とされたのですが、それとは別に、神との交わりがある人がいたのですね。

ですから、詩歌の分類で、ヨブについての記述が残されているのでしょうね。

神は、ヨブを義人と認め、サタンに自慢?するような存在だったみたいですね。

そんな義人で、多くの家族と財産を持っていたヨブに突然様々な試練が襲いかかります。

信仰の試練と言えば、格好はいいのでしょうけれど、試練に遭った当事者には理由くらい知りたいという気持ちが沸き上がることでしょう。

「サタン…ヨブを撃てその足のうらより頂まで悪き腫物を生ぜしむ。ヨブ土瓦の破片をとり其れをもて身を掻き灰の中に座りぬ。時にその妻…神を詛いて死ぬるに如かずと。…彼は…汝の言うところは愚かなる女の言うところに似たり。我ら神より福祉を受るなれば、災禍をもまた受けざるを得んやと。この事においてはヨブまったくその唇をもて罪を犯さざりき。(ヨブ2:7-10)」

でも、ヨブは、家族が殺され、財産を奪われ、さらに、自分の身体に原因不明の腫れ物ができても、神を詛う事をせずに、神の前に座っていたのです。

それだけ、創造主である唯一の神に対する信仰に生きていた生涯なのですね。

後に、財産も家族も、回復されます。

試練の中に、いる時には、先も見えないのですが、揺るぐことのない信仰を持ち続けた人なのですね。

人間には、理解不能な状況に、遭遇する時に、天を仰いで、創造主の計画を認め、その中で自分に与えられた役割に集中したいモノですね。

大切なコト 使用方法を守る

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動画は、飛行機の脱出用のシューターの成功例です。

操作の順序を間違えると上に向いて伸びてしまったり、機内で膨らみきってしまったり、しぼみきって垂れ下がったりなど思わぬ事態を招くようです。

担当者が、ドアを解除せずに展開するとこのような失敗例になるのだとか。

少なくとも、外への通路が確保できていれば、滑り台としての活用はできそうですね。

機械モノは、操作の順序通りにしないと機能しないモノですね。

直感で操作できるモノが多い世の中ですが、一度は操作説明を見ておく習慣を持ちたいですね。

バベル(乱れ)

「全地は一の言語一の音のみなりき…人々東に移りてシナルの地に平野を得て其処に居住り。彼等、互いに言いけるは…かわらを作り…まちと塔とを建てその塔の頂を天にいたらしめん。斯くして我等の名をあげて全地の表面に散ることを免れんと。エホバ降臨りて、かの人々の建つるまちと塔を観たまえり。エホバ言いたまいけるは、視よ民は一にして、皆、一の言語を用う、今、既にこれを為し始めたり。然れば凡て其の為さんと図る事は禁止得られざるべし。いざ我等降り、彼処にて彼等の言葉を乱し互いに通ずることをえざらしめんと。エホバ遂に彼等を彼処より全地の表面に散らしたまいければ彼等まちを建つることを止めたり。この故に其の名をバベル(みだれ)と呼ばる…(創世記11:1-9)」

バベルの塔」という言葉を耳にした事があるのではないでしょうか?

世界では、様々な言語が使われており、その中でも、方言があり、それらを含めて考えると、人と人が、同じ言語を共有できることが奇跡のように思われます。

言語が多様化した起源は、どうやら、このあたりのようです。

人間の企みは、このシナルの地と書かれているバビロンに天に届く塔を建設することでした。

人間の我力(がりき)で、天に到達しようという企てだったのです。

最初に創造されたアダムが、エデンの園で取り返しのつかない失敗(罪)をしたので、天に行く方法がないというのが、DNAの中に入っていたのでしょうか?

それで、望みがなくなった、天への架け橋をかけようとしたのでしょうね。

神に似せて創造された人間には、多彩な才能が与えられていて、それを、有用に使えば良いものを、逆の方向性で使ってしまう繰り返しが人間の歴史のようですね。

このような企みがなければ、世界は、一つの言語だったのかも知れないですね。

これからは、AI化が進み、コンピュータの能力も上がり、翻訳も瞬時にできる時代になるようですので、あちこちで、このような企みが起きてくるのでしょうね。

今でも、クローン技術などで、人間には許可されていない領域に踏み込んでいるのかもしれませんからね。

それをしなくても、主イエス・キリストの贖いによって、天への架け橋は整えられ、肉体的生命が終わっても、信じる人には永遠の幸福が保証されているのですからね。

犬が見習った習慣

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食事の感謝の祈りをする家族をずっとみてきたワンちゃんだからこそ、みんながそろってするお祈りに参加したくなったのでしょうね。

見せるためではなく、単なる習慣だけではなく、心を合わせて、心からの感謝を一緒にできる家族は素晴らしいですね。

食前の感謝の祈りは、習慣化されていますが、食後の感謝も大切ですね。

まあ、「ごちそうさま」とは、言いますけどね。

この動画は、おそらく、ワンちゃんが座っているイスの家族が撮影しているのでしょうね。

いつの日か、感謝をしている時に、ワンちゃんも同じ格好をしていることに気づいたのでしょうね。