雪見だいふくのケースにまだ一つ残っているように見えますね。
でも、よく見るとかわいいお耳が見えています。
なんと、食べ残しをむさぼるペットのハムスターちゃんでした。
もっちりした感じが大福に見えますね。
こんなかわいいペットがいたら、わざと食べ残したくなるかも知れませんね。
希死念慮が芽生え始めてからは、死に一直線ではない。
最期まで、気持ちが揺れ続けている人が多いようです。
支援者や家族は「死にたい人をなんとかしなければならない」と考える傾向がありますが、方向性が違うようですね。
「死にたいから死ぬのではない、苦しくて、追い詰められて、逃げ道がなくて死ぬ」
強い絶望と無力感の中にいるのですね。
実際に希死念慮を持ち始めた方の口から出た本音は
「死にたい訳ではない。死ぬしか方法がないのかと思ってしまう」
と言うモノでした。
支援者は、相談したいと思われる存在になることと、「何に困っているのか?どんな風に困っているか?」をきいて、「どうするか?」を考える必要があるようです。
希死念慮に至る前の段階に、対応できれば一番いいのですね。
日常的に、意識が必要ですね。
元々の飼い主が男性で、盗まれて転売されたものを購入したのが女性です。
判事は、ワンちゃんに、飼い主を選ぶ方法を採用したようです。
その結果、元々の飼い主に一目散に駆け寄ったのですね。
ペットは知っているのですね。
聖書にも、ソロモンの知恵という記述があります。
あらすじは、シングルマザーが二人同居していて、二人とも赤ちゃんが一人ずついました。ある朝起きてみると、赤ちゃんを下敷きにして寝て死なせてしまったシングルマザーが生きている赤ちゃんを自分の赤ちゃんだとウソをつくと訴えてきたのです。そのさばきをするのが、江戸時代ならば大岡越前でしょうが、このときは、ソロモン王が裁いたのです。「生きている赤ちゃんを二つに分けたらどうか?」と問いかけたのです。そうすると「そうしたらいい」と一人が言いもう一人は「それならば、相手にその赤ちゃんを渡す」と答えました。これを聞いたソロモン王は「…相手に赤ちゃんを渡す」と言った方を本当の母親と認定したのです。列王上3:16-28に書かれてありますので、ご一読ください。
本当の母親ならば、殺してまで分けたいとは思わないはず、自分の赤ちゃんを死なせてしまった方は、相手も同じ思いをすればいいと考えるまでになっていたのでしょうか。
親の心理を考えさせられますね。
褒めて育てる方が、人間は伸びやすい。
と言う人と
やっぱり、規律規範を教えるためには叱るコトが必要だ。
などと対立することもありますね。
対立が目立ちやすいですからそのように取り上げると考えた方が冷静になれますね。
筆者は、両方共に大切だと思います。
どちらかだけ採ると、危険ゾーンにはまってしまいそうですね。
褒めるのは、達成できた動機を褒める事、叱るのは大切なコトを伝えるために、感情的に怒らない事が大切だと思います。
危険ゾーンは、褒められないと何もできなくなることや、褒美で釣るのは逆効果になりやすいケースが多いでしょうね。
叱ると怒るは、全く違う事です。
叱るとは、大切なコトを伝えたい相手に、適切に伝える事です。
怒りの先には、憎悪が出てしまいますので、そのエネルギーが貯まると負の連鎖になってしまいますので要注意ですね。
どのタイミングで、どのようにことばがけするかについては、奥が深いですね。
TPOをわきまえて、人を生かすことばを伝えたいですね。
フランスのボーヴァル動物園の赤ちゃんパンダの成長記録です。
いのちのたくましさを感じる動画ですね。
生まれたての時には、ピンク色でパンダの面影はありませんが、だんだん、目の周りが特徴を帯びてきます。
種類にしたがって生き物は創造されたと聖書に記されています。
そのDNAのバラエティは、人知の及ぶところではないですね。
この動画を見て、ホッコリしてくださいね。
「格好つけて存在感を示したい」とどこか力んでしまって
「それができないなあ」と感じると隠れるしかないか
など、人の心理は複雑ですね。
先輩の生き方を書いてある聖書によるとダビデ王の人生は波瀾万丈でした。
羊飼いをしていた少年時代
たくさんの兄がいたのにも関わらず、神に選ばれて、頭に油を注がれる。
先代のサウル王のそばで、ハープを奏でて、王の気を静めたり
ある日突然、サウル王に殺されそうになったり
やがて、イスラエルの王となりました。
安定すると、美しい女性に目を奪われ不倫をして妊娠させたり
それを隠そうと夫を戦争から連れ戻してその妻と同衾させようとしたり
それが無理だと感じると、夫を最前線に送り、戦死させたり
それを預言者に咎められると、懺悔したり…
気になる方は第一サムエルあたりを読んでみてください。
どうやら、非常に素直な人で、失敗も人一倍するが、事実を突きつけられると、素直に反省して悔い改めするという人だったようです。
「人として生きる」ことで大切なのは、汗かきべそ書き恥かき頭をかいて、素直に悔い改めてリスタートすることなのでしょうね。
結婚式は、いくら掛けなければ、格好がつかない。
クルマは、○○以上に乗らないと馬鹿にされる。
家は、何歳までに持ち家にしないと、家賃を払い続けていると、自分の物にはならないので、もったいない。
夫婦共働きをすれば、ローンは楽勝で返せますよ。
みたいな世の中で、より良い暮らしを求める人たちが、実際にはもがき苦しんでいる状況もありますね。
昭和に時代は、子育てに専念できる専業主婦の比率が高かったわけですが、時代が移り変わり、正社員比率が下がり、正社員の所得もがたっと減り、共働きをせざるを得なくなって、現状に至るという流れもありますね。
戦後、6畳一間で家族が暮らしていた時代がありました。
先輩方の苦労と努力によって今日があるわけです。
しかし、方向性がおかしくなってきていると感じる人もいるのではないでしょうか?
物事の優先順位を考え直して、必要最低限とは何かを考える人も出てきました。
モノを手にしてから、カネを手当てする。
こんな流れが、今の世の中から、余裕をなくしている。
そんな気がしてならないのです。
本当に大切なモノが何か考えたいですね。