永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

琴線に触れる事

初対面の人とは、利害関係のない差し障りの無い話をすると人間関係が築きやすいと教えてもらった事があります。

天気の事や、美味しい者の話、行列で並んでいるならなぜこんなに時間がかかるのか、などとお互い共感を高める話題を話していけば、和んでいく事が多いですね。

あるノンフィクションライターが、取材に行った時に、プレゼンでは立て板に水のインタビューイが、寡黙だったので、インタビューイが生まれ育った故郷の古地図を見せたところ、色々なことを余すところなく語ってもらえたそうです。

何を聞かれるのかわからない状況では、警戒心も膨らみ、必要以上の事を語らないのが人なのかも知れませんね。

記憶を呼び覚ます何かが、目の前に出てくれば、呼び覚まされた記憶の泉が流れ出すのでしょうね。

その人の本音を知るためには、結果的には琴線に触れるアプローチが大切のようですね。

それには、絶対という方法がないのが実際で、記憶を呼び覚ます何かが重要なポイントを握っているのでしょうね。

全速力なのです。 カエルアンコウ

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大至急お願いします。

なんてお願いする事がありますが、よく考えてみれば、人によって早さの感じ方も千差万別なのですよね。

違う生き物ならなおさらですね。

ですから、「大至急」ではなく、「何日の何時まで」になどと、具体的にしておく必要があるのですね。

水の中で、この速度と言う事は、もしカエルアンコウが両生類だったとしたら、陸に上がった時に、捕食されてしまいそうですね。

創造主は、何かの目的があって、創造しているのでしょうから、きっと意味はあるのでしょうけれど、今の私が理解できるコトではなさそうですね。

「…水には生物さわに生じ、鳥は天の大空の面に地の上に飛ぶべしと。神、巨なる魚と水にさわに生じて動くすべての生物をその類に従いて創造り…神、之を善しと観たまえり(創世記1:20,21)」

 

誰に向かって書くのか

こういう文章を含めて、何のために、そして、誰に向けて書いているのか不明確なコトがあります。

一人でも多くの人に読んでもらいたいという動機はあるにしても、語りかける姿勢がマッチしていないと、読み手には伝わりにくいという現実があります。

文章を作っている時に、手紙を書く時のように、送る相手を思いながら書くと良いのでしょうね。

また、自分のための気づきメモであったりするので、同じようなタイプの人には共感性を持ってもらえる可能性はありますよね。

誰をイメージして、作文するのか?を強くイメージして書くようにしたいと思います。

大切な人に向けてしたためる想い、そして、いつか感想が聴けるという期待感も大切にしたいですね。

相続は血縁、実子だけとは限らない

アブラハムイサクヤコブの子孫であるのがメシアへの血筋(紅の糸)として用意されていました。

直系血族と言う事になると、そういう系図をたどっている訳です。

ですから、イサクの異母兄弟のイシマエルは、直系ではないという訳です。

イシマエルはアブラハムの息子ですから、理不尽さを大きく感じるのも無理はありません。

その子孫は、それ以上の理不尽さを抱えていることは、察するに余りあります。

直系の相続分は大きいから、それを継げなかったという何とも言えない気持ちは計りようもないですね。

養子という制度があります。

この養子は、実父母の立場もありながら、養父母の相続もできる権利があるのです。

どうやら、創造主の計画は、これのようです。

「されど之を受けし者 即ちその名を信ぜし者には、神の子となる権を与え給えり。(ヨハネ1:12)」

とあります。

つまり、御子であるイエス・キリストと同じ神の子とされると言う事です。

ですから、御子と共に世継ぎ(ロマ8:16,17)とされるのです。

これを理解している人が増えれば、争いはなくなります。

今の世の中では、理不尽さを感じても、やがて、共に世継ぎとして相続するのですからね。

ともに闘いましょうは吟味が必要

「あなたも私も理不尽な立場に立たされています。共通の敵は○○です。ともに闘いましょう。」

などと、誘われる時があります。

そんな時には、よく考えた方が良さそうです。

闘う必要性があるのか?

何のために闘う? 誰のために闘う?

主張や要求を明確にしておかないと、ただ、カオスに巻き込まれる事もあるのでご用心ですね。

原野商法というような詐欺的な手口は繰り返し行われています。

最近では、投資詐欺ですね。一月20%の配当をつけますからどうですか?

みたいなね。

第一陣が騙してドロンすると、第二陣が正義の味方のふりをして同じリストを使ってやってきます。

あなたは、被害者です。ともに闘いましょうって。何重にも被害が膨らんでいきます。

繰り返し手を変え品を変え、行われているのですね。

アガペーの愛に包まれて

ギリシャ語で、アガペーとは、見返りを求めない包み込む神の愛のこと。

フィレオは、兄弟愛のコト。そして、エロスは、性愛のこと。

ゲッセマネの園から捕らえられていったイエスを心配したペテロは、イエスがどうなってしまうのか心配でたまらなくて、そばに近づこうとしましたが、周囲がお前もイエスの仲間だろうと指摘するので、「違う」を連発してしまいました。

その時には、イエスが十字架に架けられるとも、復活するとも、ペテロの頭の中にはなかったようです。

再三にわたって、「三日目に復活する」と聴いていたにもかかわらずです。

そして、復活後のイエスに出会って、問いかけが、

「我を愛(アガペ)するか?(ヨハネ21:15)」でした。

それに対して「主よ、然り、わが汝を愛(フィレオ)する事は、なんじ知り給う(ヨハネ21:15)」と答えたのです。

ペテロと同じ信仰を持つ人は、このアガペーの愛に包まれているのです。

だから、大丈夫なのです。

人生の中で、理不尽だなと感じる体験、経験を数多く味わっても、創造主である神は、常に共にいて、アガペーの愛で包み込んでくださっているのです。

「無人駐車システム」人間は運転させてもらえなくなるかも

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レールの上を走る乗り物では、無人運転が実際に行われていますね。

でも、クルマでこのようなシステムが実用化される段階にまで来ているというのは、技術の進歩には、目を見張るモノがあるようです。

近い将来には、自動車免許というモノが必要なくなるのかも知れません。

ハンドルを握らせてもらえなくなる日が来るのでしょうか?

カーレースも自動運転のレースが展開されると、バーチャルとリアルの境目がわからなくなってしまいますね。

楽しみでもあり、人間としては何か空しさも感じます。

人間がんばれー。