永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「他人を許しなさい。それは彼らが許すに値するからではなく、あなたが平和に値するからである」 ─ジョナサン・ロックウッド

「許し許されること」これらの実感が持てる人は、幸せなのかも知れませんね。

一般的には、許しを請う相手には、コンタクトがとれない人が多いからです。

また、口先だけで、許すといわれても、実際には許されている実感が持てないことも多いのではないでしょうか?

冒頭の言葉は、「許せない」という気持ちを持ち続けると、「平和」に背を向けそれから遠ざかっているのではないかという問いかけのように感じます。

憎しみから解放されるために、自らの呪縛を解くという意味で、その気持ちを手放し、解放されることを意味しているのでしょうね。

事実と感情の分離をすれば、ネガティブな記憶も笑える日が来るでしょう。

「これでいい」が崩れればガタガタに

今の自分のベース(土台)があると思っているとゆとりさえ感じられますね。

しかし、その前提条件が、病気や失業などで崩れると、目の前が真っ暗になるような絶望感に見舞われてしまいますよね。

弟子のペテロは、ガリラヤ湖の水面を歩いて来られるイエスを見た時に、私も同じように歩きたいと申し出ました。
そして、歩くことになり、一歩を踏み出した時に、湖面を歩き進むことができたのです。しかし、風を見て怖れを感じた瞬間に溺れそうになって、イエスに助けを求めたのでした。(マタイ伝14:27-33)

この「風」を見るというのは、詩的で不思議な表現なのですが、物事を的確に表現しているように感じます。

大丈夫だと思っていたけれど、大丈夫じゃ無いかも知れないと思った瞬間から大丈夫じゃ無くなるのですね。

どんなときも大丈夫だと言える根拠をいつも確認していたいですね。

 

主イエスキリストは復活された。

主イエスキリストは実に復活された。

ハレルヤ!

アーメン!

ネコが「I love you!」って言っているよ

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飼い主は嬉しいでしょうね。

これを見た人の中には、聴き方次第という、冷静な意見もありました。

でも、愛する飼い主には「I love you」と聞こえるのですから、それが真実なのでしょうね。

微笑んでいるネコなんて画像も出回っていますが、実際に笑っている訳では無いでしょうね。

何かの誤解でも良いので、飼い主にとってポジティブに感じられる要素を受け取ることも処世術の一つかも知れませんね。

「自信は静かで、不安は騒々しい」

「大変だ」「大変だ」なんて、いつも口にしている人いませんか?

また、自慢話が上手な人もいますね。そのような人は、自信家を装ってはいますが、その実は、自信が無いのでしょうね。

一方、何があっても、物静かな人もいますね。穏やかな笑みをたたえて、周囲の人からは太陽のように感じられる人です。

そんな人は、台風のような嵐に見舞われても、泰然自若としているでしょうね。

風に吹かれる柳のように、しなやかに、生きていたいモノですね。

もう少しなんだけど届かない

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あーあ、残念でした。

おやつはあげられないけれど、座布団は10枚あげたいですよ。

人間なら、ヘタするとギックリ腰をやってしまう体勢ですね。

もう少し、と思っても無茶をすると、筋がピキッとくるのでご用心です。

こんな時のために、土台や踏み台を確保しておきたいですね。

フェイクドキュメンタリーという話

何が真実か?よくわからない世の中である。

自分が知る範囲において、情報を付き合わせて、情報の信頼度をはかり、おそらくこのあたりが真実なのだろうと考えていく意外に方法はないのかもしれない。

一番危険なのは、誰々が言っていたからとか、テレビはウソをつかない、なんて盲信していると、「あれれ?」という結果を招きかねないだけに用心したいところですね。

モキュメンタリーとも言われるフェイクドキュメンタリーは、コメディ風からシリアスなモノまであり、真実を伝えるニュアンスで、インタビューやニュースなどをつなげていくので、気をつけていないと騙されてしまうでしょうね。

笑い話ですむような、騙されかたなら実害は無いでしょうけれど、それですまないケースもありそうですから、客観的に冷静に見る、伺うスタンスも大切なのかもしれないですね。

虚が実で、実が虚かも知れませんからね。

私の人生もそのようなモノかも。

手のひら返しも生きる術

女が良いとか、男だったらなど、理想と現実の狭間で、人は揺れ続けます。

絶対という答えを見つけることはできずに、色々と思い巡らして過ごすのも、人に与えられた特権なのかも知れませんね。

そういえば、小さい子どもの頃、「大きくなったらウルトラマンになる」と言っていた人が「警察官」になったとか、聞きますね。正義の味方つながりで格好良すぎな感じもしますがね。

「…だったら」とか「…ではなかったら」など、空想を巡らせるのには時間以外にコストはかかりませんからね。

幸せな至福の時なのかも。

 

はしごをかけたとかはしごをはずされたとか、なんて種類の手のひら返しは、困ったモノですね。