永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

イスラエルの首都がエルサレムに移る時

今は、テルアビブがイスラエルの首都になっています。

宗教的中心と政治的中心を区別して、様々な勢力に対して均衡を保とうとしているからだそうです。

最近になって、アメリカ大使館をエルサレムに移す可能性が高くなってきたようです。

これが、実現した時に、時代は一歩進むのかも知れません。

イスラエルの和平協定がなければ、実現しないテーマですからね。

注視していきたいと思います。

アンパンマンとバイキンマン

やなせたかしさんの「アンパンマン」という作品には、バイキンマンが不可欠なのですね。

世の中の縮図を表現していて、自分の顔を差し出しても、困っている存在を助けるアンパンマンはヒーローとして描かれているわけですね。

また、それをバックアップするジャムおじさんや仲間がいて、その対局にみんなの敵役としてのバイキンマンがわかりやすく登場するのですね。

今の世界でも同じようなコトが起きているので、共感性が高まり、この健全な成長に役立っているのでしょうね。

「世界金融支配体制」という存在があるようです。

ユダヤ」というレッテルを貼られますが、厳密に言うと「偽ユダヤ」ということなのです。つまり、創造主の選びの民を「ユダヤ」というならば、悪魔的な振る舞いはできないであろうという見方です。

ユダヤの父アブラハムは、カルデアのウルから召し出されて、約束の地カナンにたどり着いたのです。イサク、そしてヤコブと引き継がれイスラエルと呼ばれるようになったのです。

ですから、アブラハムの子孫でもイシマエルの系列は選びの民ではないのです。

そして、ノアの子セムの流れ(ルカ3:23-38)に選びの民の流れがあり、ハムの流れのカナンには選びの民の流れはないのです。また、古くからの寄留人であった民族もハザールも選びの民の流れではないのです。

もう一つ、残念なことは、選びの民の流れであっても、創造主に背を向ける人もいる現実です。歴史を振り返れば、ユダヤ王国の時代でも、創造主である神に頼る王と背を向ける王とがいました。

様々な歴史の中で、悪魔崇拝をする人たちが、この世の実権を握っている現状があると言うことです。

やがて、メシア的王国が来るので、その人たちは失権させられる訳ですね。

過去をどう考えるか?

「過去は変えられない。でも、過去の意味は変えられる。」

なんて、セリフありますよね。

事実は変えられない。無かったことにもできない。

でも、その事実が、今の自分の解釈で、別物になる可能性があるということですよね。

自分の腑に落ちる解釈が出来れば、不幸だと感じていた出来事も、幸せを感じられる事実に変わるのでしょうね。

それこそ「過去を宝とする」というコトなのでしょうね。

残り香 何を遺していくのでしょうね。

人は、この世で得たモノは、すべて遺して身軽になって旅立っていきます。

ですから、せめて何かを遺していきたいと考える人もいるようですね。

図書館を寄贈したとか、コンサートホールを寄贈したとか、様々なモノで遺す人もいれば、記憶の中に語り継がれていく存在として遺している方もいらっしゃいますね。

遺そうとした意思と遺したモノのギャップは必ず存在するのだろうと考えるのです。

もちろん、何かを遺していきたいと考える人は、善意で考えるのでしょうが、それを善意として受け入れてもらえるかどうかという、自分では決定できない要素がありますからね。

自分の銅像を遺す方も見えますが、それの受け取られ方も様々なようですね。

まあ、自分の場合は、少々のがらくたと、やっかいな問題などを遺してしまうのかも知れません。できるだけ、見切りをつけておいた方が良いのでしょうけどね。

否定的表現はインパクトが強い

「だめっ!!!」って言われたら、「ぴくっ」と固まりませんか?

「○○しちゃいけない」とはよく聞くフレーズですが、「○○してもいいよ」なんて、なかなか聞かないで育った人も多いのではないでしょうか?

親として、子を危険にさらしたくないという気持ちがありますから、迫力のある否定表現に拍車がかかるのかもと考えてしまいますよね。

○○は、危険だから○○をやる時には、ココを気をつけましょう。
だから、気をつけたら、楽しくやりましょう。

みたいに、自分の中で、して良いこととしない方が良いことの変換をしていく必要があるのですね。

危険な行動を見かけたら、危険回避のためのストップをかけてから、何が危険なのか?どうすれば安全が確保できるのかを一緒に考えて見るのが良いのかも知れませんね。

信用と信頼

アドラーが提示する考え方ですね。

信用とは、見える何かで信じる保証にすること。

信頼とは、目に見えないモノで信じ切ること。

そして、信頼に応えるかどうかは、信じた自分ではなくて、相手の課題であること。

世の中には、絶対に守られる約束は存在しないのかも知れませんね。

それでも、自分がした約束は果たそうとするし、お互いに最大限の努力はしたいと考えられる信頼関係の中で生きられることが、幸せを実感できる関係性なのかも知れないですね。

見返りばかり求める

「欲しい」「欲しい」「欲しい」

「もっと」「もっと」「もっと」

今あるモノに満足せずに、次々に求める。

これが、人間の本性かも知れませんね。

「蛭に二人の女あり、與よ與よと呼ばわる。飽くことを知らざるもの三つあり否四つあり皆足れりといわず…陰府、妊まざる胎、水に満たされざる地、足れりといわざる火これなり。(箴言30:15,16)」

なんて、フレーズを思い出してしまいます。砂漠の砂は、水を少々まいても、すぐに吸収してしまうでしょうし、大火事は、水をかけてもすぐには消えてくれませんね。

ブラックホール」は、宇宙空間にあるそうですが、周りのモノを吸い込んでしまうと聞いたことがあります。どんどん良い物を引き寄せたいという願望はありますが、自分自身が、ブラックホールにはなりたくはないと思います。

自分のことを考えるのは大切ですが、周囲とのマッチングも考えるゆとりを持てないと、結局、孤立してしまいかねないので、要注意ですね。

孤立よりも自立を目指していく方が、世の中で楽しく生きていけるのではないでしょうか。