永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

子が不登校担った時の心得

期限をつけずにゆっくり休ませる

胸に貯まっている思いを十分に聴く

家計の許す限り欲しいというものを買ってあげる

目標や夢を実現する方法は必ずあると言い続ける

勉強の遅れは必ず取り戻せること

不登校のことは、不登校をしている当事者の声を聴くこと

など、「つまずくほど大きく伸びる」(生駒富男 著)の中で紹介されていました。

傾聴の役目にあるものとしてのささやかな経験から、当人のエネルギーをどのように肯定的に受け止めるかがポイントなのだろうなと感じています。

最短距離の解決方法を模索するのが最も遠回りのようです。

当人は、誰よりも目の前の親に助けを求めているのですからね。

エスカレートする行為

人にばれない方法を思いついて、その手法で成功体験を得ると、もう一回やってみようと考えます。そして、リピートしていくのです。

この背景には、ウソを許さない親や環境の影響が窺えます。

ウソをついた自分が良くないと認識していても、ウソをついた自分を親にすぐ否定されるよりはマシだと考えてしまうようですね。

親の期待には応えたいし、親のがっかりする姿を見たくないのですね。

親は、自分ではどうしようもない思いをたくさん抱えて、生きています。

それを子はわかっている部分があるからでしょうか?

子は自分の感情を表現するよりも閉じ込めることを選択してしまうようです。

それが、人にばれない方法の発見や発明に繋がっているのかもしれないですね。

それをわかった上での親の対処が必要のようですね。

万引きに常習性の傾向があるのもこのメカニズムが要因ですね。

命を込めて人が一枚の板を叩く

新潟県燕三条にある玉川堂という銅器を昔ながらの製法を作っているメーカーがある。

一枚の銅板を金槌でひたすら叩き伸ばして、形を変えていく技術と根気がいる工程だそうです。

その製造ポリシーが「命という字に象徴されている」と解釈して見えるようです。

つまり、「人が一枚の(銅)板を叩く」というのです。

「雨だれ石をも穿つ」といわれますが、人の手で金属の形を少しずつ変えていくことは、非常に根気のいる作業だと思います。

一枚から5日ほどの工程をかけて作り出されるしなやかさと、素材の銅が持つ特性で、まろやかなお茶になるということです。

また、確かな製造技術で、孫の代まで使えるモノだということですね。

結構なお値段ですが、根強い人気だそうです。

宣伝料をもらっているわけではないので、念のため。

人間も色々な体験を経て、少しずつ変えられていくのですね。

よりまろやかになっていければ良いですよね。

碁石の大きさ

私はてっきり同じサイズだろうと思い込んでいたのですが、実際に違うそうですね。

黒石が22.2ミリ、白石が21.9ミリで、0.3ミリ黒石が大きいのだそうです。

その理由は、人間お目には、白石の方が大きく見えるからなのだそうです。

盤面では、白石の陣地の方が広く見えるのだそうです。

白は黒よりも明度が高いからだそうです。

材質も、黒石が那智黒石で、白石はハマグリの貝殻なのですね。

白の黒の対比というと、髪の毛もそうかもしれません。

黒髪の中に白髪が1本あれば、よく目立ちますからね。

逆だと白が優勢でほとんど気にならないはずですから。

不思議ですね。

明るく笑う いい子

子は鎹(かすがい)と言われました。今は、ほとんど使われないこのフレーズですが。

両親が不和でけんかが絶えない家庭に育った子は、明るく笑うことでその場を精一杯和ませようと振る舞うのだそうです。

「いつもニコニコしていて本当に良い子だね」

などと、褒められても逆効果になることもあるのでご用心ですね。

「もっと苦しい気持ちを抑圧して笑顔を絶やさず明るく振る舞いなさい」というメッセージに受け取られることもありますからね。

状態と評価は直結しないフレーズの方が無難なのかとも考えてしまいます。

深い洞察が必要な環境があるかも知れないと考えて配慮する意識は大切にしたいですね。

あるということ

好かれるとか嫌われるとかは、当人にはどうしようもできない範囲のこと。

自分を存在(being)としてとらえるならば、自分は存在しているという事実しかないのでしょうね。

感情を考えれば、自分が周囲の存在に対して、好きとか嫌いとか、そのたびごとの気持ちの変化があるということですね。

ですから、自分が好かれているコトをポジティブに考え、嫌われていることをネガティブにとらえる傾向があるのでしょう。

つまり、好きと感じる要素があって好きと感じるわけですからね。もちろん逆もそうですね。

それの基準(ものさし)は、結局、自分のモノで測っていることが多いのでしょうから、自分が好きと感じる要素でも、他者は嫌いかも知れないし、その要素には好きでも嫌いでもないかも知れませんね。

好きになって欲しいから、いろんなアプローチをするのでしょうけど、逆効果なんてコトもありますからね。

何はともあれ、あなたのこと好きですという気持ちが、ストレートに届くと良いですよね。

長く連れ添ったパートナーでも、好きな要素よりも、嫌いな要素を多く感じているのかも知れません。これって、不思議ですよね。

カラスにあいさつするとゴミを荒らされない!?

カラスは頭が良いみたいですね。

生ゴミのネットをかいくぐり、獲物にありつくために、ごみ袋を突きまくるためにゴミが散乱してスゴいことになっている光景を目にしたことがあります。

移動距離も相当なモノのようで、山から海辺までご出勤になるのだとか、そして、夕方には、七つの子が待つ山に帰っていくようです。

また、ゴミを捨てに行くと、大きなくちばしのカラスが待ち構えていて恐かったという話もありますね。

タイトルの記事によると、友好的になると、ゴミを荒らさなくなると言うことで、何人かの人が試して、成果を得たようですので、試してみる価値があるかも知れないです。

いきなり目を合わせない方が賢明かも知れませんね。思わぬ反撃を食らうかも知れませんからね。

同じ星に住む生き物として、共存できるモノなら共存した方が、平和ですからね

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